伝来・由緒とは? わかりやすく解説

伝来・由緒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 15:26 UTC 版)

闘戦経」の記事における「伝来・由緒」の解説

作述されてからは、大江家38大江広元が、鎌倉幕府源氏三代仕えたが、北条家治世となってからは遠ざけられ結果として理解しやすい『孫子』・『呉子』が武家社会の間で普及し、『闘戦経』を学ぶ者は一部武家限られ伝えられた。 のちに、41大江時親は金剛山麓に館を構え当地周辺豪族兵法伝授するうになる。その中には鎌倉幕府倒し足利家立ち向かった名将楠木正成もいたとされる(当将は最期まで権威従い裏切らなかった)。建武中興1334年)後、時親は安芸国行き毛利家始祖となる。 戦国期至り大江家52毛利元就の弟である大江元綱は、この書を出羽守の秦武元に授け、さらに彼から伝授され眞人正豊(正豊)は、自らを「江家(ごうけ)兵学正統」と称し元就の孫(吉川元春の子)たる大江元氏に「源家古法と共に伝えた(この「源家古法」の表現は、当書内にも見られる)。 その後は、江戸期至り18世紀中頃宝暦年間伊予松山藩兵法師範木村勝政に伝えられ、藩内において数代わたって伝え続けられてきた。この他にも、何らかの形を経て黒羽藩にも伝わっている。 最終的に闘戦経』は大正15年1926年)に海軍兵学校全て寄贈され戦前海軍大学校でも、闘戦経』を講義用いた。現在9冊の写本残りそれぞれ本文だけのもの、注釈つきのもの釈義みのものがあり、現在に至るまで古来日本兵法思想とは何かといった研究欠かせない資料となっている。

※この「伝来・由緒」の解説は、「闘戦経」の解説の一部です。
「伝来・由緒」を含む「闘戦経」の記事については、「闘戦経」の概要を参照ください。

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