社司鏑木鏺麿との邂逅とは? わかりやすく解説

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社司鏑木鏺麿との邂逅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/12 06:08 UTC 版)

禁厭秘辞」の記事における「社司鏑木鏺麿との邂逅」の解説

鏺麿は東京浅草現在の台東区鎮座している由緒ある神社代々神官出である。家学である神道の他に、民俗学にも造詣深く明治2324年頃には禁厭に関する草稿物している。この草案には禁厭起源から説き起こしまじない方や禁厭種類及び病源論にまで説き及び、主に古事記物語参照して引用解説施しているが、その証の成否確認する為に自著持参し明治25年夏に遠路土佐潮江天満宮水位の下に出向し翁の教え垂れることにした。邂逅して肝胆を砕く思い水位翁に禁厭極意有無自著所感教示乞うと、快く承諾され一渉り"まじない"についての見解述べ蠱の字義説き及び後に、鏺麿が持参した禁厭考』にも目を通し、実に懇切丁寧説明で、さり気なく私見述べられたが、学識豊かさ博引傍証説明に鏺麿は深く感銘受けたという。禁厭は法を以て無形をして感せしむる物なり。人の善悪を云はず、行ふ人の一念にも関係せる事なり。禁厭を以て人を苦しめ或は生し或は詛ひ殺す法ありて禁厭とも詛咒とも云うへど其理に至りては一なるを、善方に用るをマジナヒと訓し、悪方に使うふをトコヒと云ふなり。まさにノロヒとも言ひ習はせしかども、本来は一つのもの也。更に敷衍して古事記出典様々な詛法にまで説き及んだ。この水位博覧強記説明により、禁厭(まじない)と詛(とごい)と呪(のろい)厭魅(えんみ)の一義明瞭に判明した述懐している。水位著作である玄道或問の中で魂魄についての質疑に対して見解述べられおられる箇所があるが、弟子対する師の慈愛満ちた質疑応答内容判読してもわかるように、その玄学知識蘊奥並外れており天衣無縫水位学識深さ驚愕した鏺麿は正式に入門の手続き踏まえて水位門下道士となり鏑木家に伝来する由緒ある社家代々伝わりたる文化伝統家学を更に深く究めたと言われている。水位門下逸材全国津々浦々に及ぶが、その他に同胞神道学者にして道蔵にも造詣の深い伊予大洲矢野玄道讃岐中田皇大神宮神官増田猶太郎、同県小松島多田勝太郎地元天満宮神官宮地左膳、石舩の宮司宮崎敬壽常磐先生とも交流のあった原、岡藤太郎、由良藤兵衛水位側筆の岑正雄etcそれぞれに活躍している。

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