伝来の異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:42 UTC 版)
以上が義元左文字の伝来に関する通説だが、歴史学者である馬部隆弘はこの通説について、以下3点の疑問を指摘している。 義元左文字は管領・細川晴元の被官である三好政長が甲斐守護の武田信虎に贈ったとされるが、政長が信虎と交渉する意味が見いだせず、贈答のやり取りをしていた可能性が低い。したがって武田氏から今川氏に贈られたとする伝来自体も疑わしい。 織田氏から豊臣氏への伝来過程で、本能寺の変で失われたはずの義元左文字が、再び出現し豊臣氏に伝わった経過が不分明。 また織田信長が桶狭間の合戦で入手した際、「織田尾張守信長」と嵌銘させたとされることも、桶狭間の合戦が行われた永禄3年当時、信長の名乗りが「上総介」であった事実と整合しない。
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