伝来初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:17 UTC 版)
朝鮮に本格的にキリスト教信者が生じたのは約220年前で、布教の歴史は日本や中国などの周りの国々に比べてもそれほど長くないとされる。 朝鮮に初めてキリスト教の宣教師が足を踏み入れたのは、文献で確認できる限りでは、1593年に文禄・慶長の役に参加していたキリシタン大名小西行長の求めに応じて朝鮮に渡ったイエズス会司祭グレゴリオ・デ・セスペデス(Gregorio de Sespedes)が最初である。しかし、彼の活動はあくまで日本軍の従軍司祭としての活動に限定されており、朝鮮の人々に布教をしたわけではなかった。しかし、この戦役において小西はジュリアおたあと呼ばれる朝鮮人養女を得ており、彼女は小西によって行き届いた教育を受け、養父にならって受洗した。よって、歴史上初の朝鮮人キリスト教徒(受洗者)は彼女であると考えられている。 李氏朝鮮では1631年、朝鮮燕行使によって中国経由でキリスト教に関する書籍(『天主実義』)などが輸入された。朝鮮に対する最初の布教は正祖の頃、マテオ・リッチが創設した北京のイエズス会が朝鮮の燕行使と接触して行われた。 1777年頃から、その本を研究した学者たち(キリスト教を朝鮮では西学と呼んでいた)の中からイエスを信じるキリスト教徒の共同体が形成されていたという。これら信徒は司祭の布教無しに私的にキリスト教を信仰していた。 朝鮮史上初のキリスト教礼拝所は北京で洗礼を受け、帰国した李承薫(イ・スンフン)が1784年に平壌で設立したものである。李承薫は、北京で、教区長グヴェーアと出会い洗礼を受けることを決意したが、宣教師ヴァンタヴォンは以下のように記録している。 わたくしどもは、神が栄光を投げかけていたであろう一人の男の改宗の事実を慰めの言葉として報告する。そのものの国は、まだかつて宣教師の訪れない朝鮮というところで、中国の東側にある半島である。この国は、毎年宗主国である中国に使節を派遣する。…わたくしどもは、彼が満足するまで種々の疑問について教授してやった。 — 山口正之『朝鮮西教史』 (1967) この段階では宣教師は朝鮮に派遣されず、朝鮮におけるカトリックの受容は自発的に続けられた。李承薫が北京から帰国した後、私的に西学を信仰していた人々も改めて洗礼を受け、現在のソウルでは定期的な集会も行ったという。その後、パリ外国宣教会宣教師らが北京を経て朝鮮北部に入り、カトリックの宣教を行った。朝鮮初の宣教師は、1794年に朝鮮にやって来た中国人宣教師の周文謨(中国語版)である。 1845年金大建(キム・デゴン)が上海で朝鮮最初の司祭になって帰国し、布教を始めた。しかし、当時の朝鮮の社会では儒教が社会の根本思想となっていたこともあり、カトリックは邪教と見做され弾圧が加えられていた。巡威島において外国人宣教師密航計画を進めていた金司祭は1846年に捕縛され、彼と103人の信者は「キリスト教棄教」を拒否、処刑された。金司祭と103人の信徒は1984年5月6日にローマ教皇によって列聖された。 大院君政権下の1866年には密入国していたフランス人司祭9名と、カトリック信徒約8,000名が捕縛・処刑される丙寅教獄が起こった(これに対してフランスは朝鮮を攻撃したが、朝鮮軍によって撃退された。これを丙寅洋擾と呼ぶ)が、カトリック信者は続いてその信仰を守った。現在でもその信仰が伝えられ、韓国のカトリック信徒の割合は韓国総人口の約1割に至っている(2005年韓国統計庁の公式資料)。
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