修復事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 23:22 UTC 版)
修復事業はプロポーザル方式で進められ、設計は八千代エンジニヤリング、橋梁の施工はIHIインフラシステムが受注。橋詰には、地元小山町に本社を置く臼幸産業の施工により広場が整備された。森村橋は当初民間企業により設置された橋梁であり、役場では設計に関する資料を有しておらず、資料の収集・分析から始められた。IHIや日本橋梁建設協会にも十分な資料がなく難航したが、その過程で、日本で初めて亜鉛めっきによる橋梁塗装が試験的に行われたことが明らかになった。 現場で補修を施すのではなく、一度解体して工場に運んで修理する方法が採られた。一般的には桁の下に設けたベントと呼ばれる仮受け台に荷重を預け、応力を開放しながら解体されるが、本橋のケースでは河川との兼ね合いからベントを構築することができなかった。そこで、既存のトラスに合成しながら仮設のトラスを組み、一体化したトラスから既存のトラスを切断。修理を終えた部分を再びつなぎ、最終的に仮設トラスを撤去する方法が採られた。古い鋼材は不純物のばらつきのため溶接できない場合が多いが、成分分析と溶接試験を行い、外観の変化をできる限り抑えた復元が実現した。この結果、重量比で約61%の部材を再利用することができた。現存しない照明灯や橋名板は写真などを参考に再現され、竣工当初と同じ位置に設置された。
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