修復の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 22:51 UTC 版)
シュパイアー大聖堂は、ルイ14世の配下の兵士たちによって、1689年に焼かれ、無残なありさまになった。1772年から1784年に修復され、前庭とファサードが付け加えられたが、1794年にまたしてもフランス軍によって荒らされた。これに対し、1846年から1853年にかけて、もう一度修復が行われた。 このときの修復はフレスコ画で内装を飾ることなども含めた徹底的なもので、バイエルン王ルートヴィヒ1世が出資した。 1961年には創建当時の姿に戻す修復工事が行われた。
※この「修復の歴史」の解説は、「シュパイアー大聖堂」の解説の一部です。
「修復の歴史」を含む「シュパイアー大聖堂」の記事については、「シュパイアー大聖堂」の概要を参照ください。
- 修復の歴史のページへのリンク