恩田文舟とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 恩田文舟の意味・解説 

恩田文舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 01:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

恩田 文舟(おんだ ぶんしゅう、文久元年10月6日1861年11月8日〉 - 没年不明)とは、明治時代画家

来歴

本名は恩田幹延、文舟と号す。『第二回内国絵画共進会 出品人略譜』(明治17年〈1884年〉刊行)によれば歌川芳延の門人、恩田定次郎という人物の息子で東京府浅草区浅草聖天町に住む。明治15年の内国絵画共進会に「人物」と「龍」、第二回内国絵画共進会に恩田文舟の名で「人物」と「虎」を出品している。没年は不明だが『新撰年中重宝記』(明治27年〈1894年〉刊行)の「古今書画人名便覧」には、「現今各派画家」に「宮城 恩田文舟」とあり、少なくともこの頃まで存命で宮城県に住んでいたのが知られる。なお明治6年(1873年)建立の一勇斎歌川先生墓表には「芳延社中」として「文延」の名がみられるが、これが同一人かといわれている。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「恩田文舟」の関連用語

恩田文舟のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



恩田文舟のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの恩田文舟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS