洞院公定とは? わかりやすく解説

とういん‐きんさだ〔トウヰン‐〕【洞院公定】

読み方:とういんきんさだ

[1340〜1399]南北朝時代公卿右大臣左大臣歴任諸家系図集大成した尊卑分脈」を編纂(へんさん)。日記「洞院公定日記」は南北朝期世情を記す。後中園左府


洞院公定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 10:17 UTC 版)

 
洞院公定
時代 南北朝時代 - 室町時代初期
生誕 暦応3年/延元5年1月26日1340年2月24日
死没 応永6年6月15日1399年7月18日
改名 公定→元貞(法名)
別名 後中園左大臣
官位 従一位左大臣
主君 光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 洞院家
父母 父:洞院実夏
母:花園院中納言典侍(持明院保藤の娘)
兄弟 公定、公為、公頼、公夏、実厳、理真
養兄弟:洞院実世の娘洞院実世の娘
養子:実信[1]満季[2]
花押
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洞院 公定(とういん きんさだ)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿内大臣洞院実夏の長男。官位従一位左大臣後中園左大臣と号す。太政大臣を務めた洞院公賢の孫にあたる。

生涯

暦応3年(1340年)11月21日叙爵。ところが後に父と不仲となって廃嫡され、替わりに弟・公頼が後継者とされた。ところが、貞治6年(1367年)5月10日に権中納言となっていた公頼が急死、続いて6月1日には実夏も薨去した。実夏は公頼に支障がある場合にはその弟を当主にするように命じていたが、朝廷は幼少を理由に保留、更に公賢が薨去の際に実夏との家督争いに敗れて吉野に奔った公賢の弟(養子)の洞院実守までが京都に帰還して当主に任ぜられるように動いたために洞院家の家督争いが紛糾した[3]。そのため、室町幕府は、応安3年(1370年)頃に3代将軍足利義満の名で公定に洞院家を継がせて内紛を終結させるように武家執奏を行い、これを受けて応安4年1月19日後光厳天皇によって公定の洞院家門継承の勅裁が下されて洞院家を継ぐことになったのである[4]

以後累進して従一位・左大臣に至る。日記に『洞院公定日記』があり、応安7年(1374年)と永和3年(1377年)の自筆断簡が残存する。永和2年(1376年)頃、諸家の系図を集めて『尊卑分脈』(『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』)を編んだ。また、日記の「洞院公定日記」については、当時の南北朝の動乱期の世情を鮮明に描いており、更に太平記の作者といわれる小島法師についても記されている。

経歴

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

至徳2年(1385年)3月27日、権大納言に還任。

  • 至徳3年(1386年)11月27日、権大納言を再び辞した。
  • 嘉慶2年(1388年)5月26日、権大納言に還任。
  • 応永2年(1395年)1月7日、内教坊別当に補される。同月28日、左近衛大将を兼ねる。3月24日、内大臣に任ぜられる。7月2日には左大将を辞し、8月16日に従一位に昇叙。9月2日には右大臣に転任。
  • 応永3年(1396年)7月24日、左大臣に転任。
  • 応永5年(1398年)12月、左大臣を辞した。
  • 応永6年(1399年)6月15日、出家し法名を元貞とするが、同日中に薨去。

系譜

脚注

  1. ^ 正親町忠季の子
  2. ^ 洞院実信の子
  3. ^ 実守は正平一統の際に北朝を離反して南朝に仕えながら、公賢薨去時と実夏薨去時に突如北朝に帰参して家督争いを繰り返し、敗れて南朝に戻った。実夏の娘婿であった近衛道嗣は「南北之往来頗忠貞之儀乎」(『愚管記』)と呆れている。
  4. ^ 森茂暁『増補改訂 南北朝期公武関係史の研究』(思文閣出版2008年ISBN 978-4-7842-1416-7 P435-436

参考文献

先代
洞院実夏
洞院家
6代
次代
洞院実信



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