洞院公泰とは? わかりやすく解説

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洞院公泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 12:40 UTC 版)

洞院 公泰(とういん きんやす)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿歌人左大臣洞院実泰の三男。公賢・公敏の庶弟、守子(後醍醐天皇妃)の同母弟。後宇多法皇の養子となる。官位正二位権大納言北朝)、従一位右大臣南朝)。冷泉(れいぜい)と号した。


  1. ^ 太平記』巻14「将軍御進発大渡・山崎等合戦事」
  2. ^ 『新葉集』雑中・1173に公泰の詠歌として、「命あれば三代につかふる名もとめつ六十のいまの関の藤川」とある。従来この「三代」を後醍醐後村上長慶に比定し、正平23年(1368年)の長慶天皇践祚後も在世したとする説が有力だが、公泰が60歳を迎えたのは同19年(1364年)なので、解釈に誤りがあるとしなければならない。
  3. ^ 園太暦』巻1所収「洞院系図」は、名を為頼または兼親に作る。何れが正しいのかは不明。


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