尊卑分脈
『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく、旧字体:尊󠄁卑󠄀分󠄁脈󠄂、異体字で『尊卑分脉』とも)は、日本の初期の系図集。現題は『編纂本朝尊卑分脈図』[1]、改編後の題名は『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』(しんぺん さんず ほんちょう そんぴぶんみゃく けいふざつるい ようしゅう、旧字体:新編󠄁纂圖本朝󠄁尊󠄁卑󠄀分󠄁脈󠄂系譜󠄁雜類󠄀要󠄁集)[1]、江戸時代の版本の題名は『諸家大系図』(しょか だいけいず)[1]。単に『大系図』(だいけいず)とも呼ばれる。
概要
南北朝時代後期に成立した[1]。洞院公定が原撰し、洞院満季、洞院実煕らによって編集され、甘露寺親長、三条西実隆、中御門宣胤らが改訂増補した[1]。南北朝時代の諸系図の集大成である[1]。室町時代以降、広く増補改訂されたため、異本が多く、30巻本・20巻本・14巻本が流布した。
構成は、尊(帝王系図)と卑(源氏・平氏・橘氏・藤原氏の諸系図、諸道系図など)に分かれる[1]。帝王系図や神祇道系図など、一部分は散逸している[1]。『新訂増補国史大系』によれば、第一編は藤原摂関家流の嫡流にあたる九条流など、第二編は南家・式家・京家の諸流など、第三編は嵯峨源氏・清和源氏など、第四編は桓武平氏・橘氏・安倍氏などの系図をそれぞれ収める[1]。なお、第四編には略系図が多い[1]。
現存する部分は源平藤橘のうち、いずれも長く宮廷社会の中枢にいた藤原・源の両氏に詳しい。直線で父系を結び、女性は后妃などごく一握りの人を除き「女子」と省略されている。系図に名の見える男性官人には、実名とともに生母・官歴・没年月日と享年の注記を含む略伝が付され、貴重である。平安時代および鎌倉時代に関する記載は一級史料として採用される。
ただし、当時の記録や公卿の日記に見える人物の名がなかったり、また逆に実在が疑わしい人物が記載されていたり、年代的におかしい部分もある(例えば平忠盛の娘が源義忠に嫁いだと書かれている[注釈 1]が、これは忠盛の父平正盛の娘の誤り)等、一部信憑性に欠ける部分もあり、公定死後の部分や加筆された部分に関しては他の史料との整合性や比較批評が必要である。
脚注
注釈
出典
参考文献
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- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第1篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003622
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第2篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003630
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第3篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003649
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第4篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003657
外部リンク
- 『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』(吉川弘文館、1903 - 1904年)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 『尊卑分脈』 - コトバンク
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