嵯峨源氏とは? わかりやすく解説

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さが‐げんじ【嵯峨源氏】

読み方:さがげんじ

嵯峨天皇皇子で源(みなもと)の姓を賜って臣籍下った者。肥前松浦(まつら)氏はその流れ称する


嵯峨源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 07:47 UTC 版)

源氏二十一流 > 嵯峨源氏
嵯峨源氏
各氏により異なる。
本姓 朝臣
家祖 第52代嵯峨天皇皇子皇女
種別 皇別
出身地 山城国
著名な人物 源信
源常
源弘
源融
源等
支流、分家 春朝臣[1]
源融流
 渡辺氏武家
 松浦氏武家
 蒲池氏武家) など
凡例 / Category:日本の氏族

嵯峨源氏(さがげんじ)は、第52代嵯峨天皇皇子皇女を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣

概要

源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)があり、嵯峨源氏はその最初の一つで嵯峨天皇から分かれた氏族である。

嵯峨天皇には23人の皇子がいたとされるが、そのうち17人の皇子が臣籍降下して源氏を称した。また、数人の皇女も臣籍降下して源姓を称した。それらの中でも源融後裔地方に土着して武家軍事貴族)となった系統が著名で、渡辺氏赤田氏瓜生氏)などをはじめ、鎮西地方松浦氏蒲池氏奈良原氏なども嵯峨源氏流と称した。

嵯峨源氏の氏人はほとんどが好字を用いない一字名だが、源是茂やその弟の源衆望のような二字名の氏人もいる。是茂・衆望の実父は源融の子の源昇だが、是茂は光孝天皇養子に、衆望も光孝天皇の子である源是恒の養子となったために一字名を称さなかった。

歴史

弘仁5年(814年嵯峨天皇が自らの多くの皇子女が皇族として封戸を支給されて官庫の負担となっていることから、まだ親王号を与えていない皇子女に朝臣姓を与えて臣籍降下させ、公務に従事させることをした[2]。これにより、源信源弘源常源明の4皇子と、源貞姫・源潔姫・源全姫・源善姫の4皇女が源朝臣姓を与えられて左京貫附されたのを始まりとする[3]。結局、嵯峨天皇の皇子17名・皇女15名が源朝臣姓を与えられて臣籍降下した[4]

淳和朝天長8年(831年正月に第三源氏の従三位に、7月に第一源氏の参議にそれぞれ叙任されて公卿に列すと、以降、嵯峨源氏の兄弟は一世源氏として順調に昇進する。承和7年(840年)常が20歳代で右大臣に昇ると、仁明朝から宇多朝にかけて常・信・が相次いで左大臣を務めたのを始め、も公卿に昇るなど、平安時代初期から前期にかけて藤原北家と並んで朝廷の一大勢力をなした。

二世源氏も融の子で大納言まで昇ったのほかにが公卿に昇る。しかし、三世以降で上級貴族であり続けた例はほとんどなく、公家としては後世に子孫が伝わらなかった。なお、昇の子孫地方に下って武家となり、渡辺氏蒲池氏などの子孫を伝えている。

系譜

嵯峨天皇皇子皇女系譜


源信流、源弘流、源常流


源定流、源明流、源澄流


源融流、源勤流、源啓流

主な嵯峨源氏

嵯峨源氏において子孫を長く伝えたのは源融の流れを汲み、地方に下り武家となった融流嵯峨源氏である。

氏族

人物

著名な嵯峨源氏姓の人物に関しては、嵯峨源氏の人物一覧を参照。

脚注

  1. ^ 源信の子881年元慶5年)6月9日、陽成天皇より春朝臣の姓を賜る。
  2. ^ 日本後紀弘仁5年(814年)5月8日条
  3. ^ 新撰姓氏録』左京皇別
  4. ^ 本朝皇胤紹運録
  5. ^ 本藩人物誌』より。『諸家大概』では、藤原氏流とする。

関連項目


嵯峨源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)

源氏」の記事における「嵯峨源氏」の解説

52嵯峨天皇の子孫。弘仁御後詳細は「嵯峨源氏」を参照この内源信源常源融左大臣となり、平安時代初期朝廷一大勢力をなした。また、源融系統地方土着として武家となった。また源潔姫藤原良房嫁ぎ天皇の娘が摂関家嫁ぐ先例となった氏族渡辺氏松浦氏蒲池氏など 嵯峨源氏 系図 嵯峨天皇皇子皇女系譜 女子は数を限って記載。 (52嵯峨天皇54仁明天皇 秀良親王 業良親王 忠良親王 基良親王王 源源信流へ 源弘 源弘流へ 源常 源常流へ 源定 源至 源挙 源順 源明 源明流へ 源生 加 浮 見 源寛 矜 宥 源鎮 源澄 源澄流へ 源清 源安 來 源源融流へ 源勤 源勤流へ 源勝 良 穏 源賢 源啓 源啓流へ 源継 生 有智子内親王 源潔姫 正子内親王 源貞姫 源善源融源融以外の系図は「嵯峨源氏#系譜」を参照源融 湛 寄 准 散 寛筭 若 添 泊 昇 適 済 官 趁 憩 安法 仕 宛 [渡辺氏渡辺綱 授 [松浦氏松浦久 正 糺 安 傅 後 是茂 師世 貞清 末行 満末 貞宗 [蒲池氏蒲池久直 衆望 望 尚 副 添 元 運 増

※この「嵯峨源氏」の解説は、「源氏」の解説の一部です。
「嵯峨源氏」を含む「源氏」の記事については、「源氏」の概要を参照ください。

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