嵯峨源氏蒲池氏の継承とは? わかりやすく解説

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嵯峨源氏蒲池氏の継承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 15:59 UTC 版)

蒲池久憲」の記事における「嵯峨源氏蒲池氏の継承」の解説

正平14年/延文4年1359年)、筑後川の戦い大保原の戦い)で、父宇都宮懐久伯父貞邦と共に討ち死にしており、南朝凋落後、久憲は所領のない九州土着すべく、久留米近く高良玉垂宮高良大社)の社前で、やはり父を建武3年/延元元年1336年)の多々良浜の戦い失っていた南朝方の蒲池武久の娘と夫婦になる。久憲は武久討ち死に以来、約20年上もの間、当主不在であり滅びかけていた渡辺党蒲池氏名跡遺領継ぎ蒲池久憲名乗る。 久憲について『筑後志』は「粟田関白藤原道兼末葉であり宇都宮左衛門尉朝綱の後胤である。久憲三代の祖の宇都宮藤原貞久正中年間1324年 - 1326年)、征西将軍営に供奉して肥後国下り、久憲の時において渡辺党蒲池氏の婿となりその遺跡を領す。」と記し、『肥陽軍記』は「筑後国蒲池氏宇都宮弥三郎朝綱の末葉であり、初め宇都宮久憲鎮西下向し、筑後着して蒲池の家を興し8代後の蒲池鎮漣まで、下筑後に七千町領し筑後国中の諸侍に親類多く家は冨栄えた」と記している。

※この「嵯峨源氏蒲池氏の継承」の解説は、「蒲池久憲」の解説の一部です。
「嵯峨源氏蒲池氏の継承」を含む「蒲池久憲」の記事については、「蒲池久憲」の概要を参照ください。

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