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源興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:55 UTC 版)

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源興
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 天長5年(828年
死没 貞観14年11月19日872年12月22日
官位 従四位上右近衛中将
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 嵯峨源氏
父母 父:源常、母:不詳
兄弟 、相、備
養兄弟:
不詳
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源 興(みなもと の おこる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族嵯峨源氏左大臣源常の子。官位従四位上右近衛中将

経歴

仁明朝承和12年(845年无位から従五位下直叙され、翌承和13年(846年侍従に任じられる。

嘉祥3年(850年文徳天皇即位後まもなく左兵衛権佐に任ぜられると、仁寿3年(853年)右兵衛権佐、斉衡3年(856年左近衛権少将天安元年(857年)右近衛中将と、文徳朝では武官を歴任するとともに、仁寿元年(851年)従五位上、斉衡2年(855年正五位下、天安2年(858年従四位下と順調に昇進した。

清和朝でも引き続き右近衛中将を務める一方、貞観5年(863年)従四位上、貞観8年(866年蔵人頭に叙任されるなど官途は順調であった。貞観10年(868年)に病により蔵人頭を解任されたが、右近衛中将にはとどまり、結局文徳朝から清和朝にかけて約15年の長きに亘ってこれを務めた。

貞観14年(872年)11月19日卒去享年45。最終官位は従四位上行右近衛中将兼阿波守

人物

容姿が美しく、立ち居振る舞いに優れていた。外見は雄々しく立派である一方で、内面は心が広く穏やかな性格であった。まだほとんど学問を修めていないような幼い頃、既に百氏を諳んじていたという[1]

官歴

注記のないものは『六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:源常
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:源教

脚注

  1. ^ 日本三代実録』貞観14年11月19日
  2. ^ a b c 『近衛府補任』
  3. ^ 『蔵人補任』
  4. ^ 『一代要紀』104

参考文献





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