武家源氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)
源氏の後裔のうち、受領や在庁官人として土着し、武士団を形成したものは武家源氏と呼ばれる。特に清和源氏はその代表格であり、源平合戦など、清和源氏をして源氏と称することが多い。源経基は天慶の乱の鎮圧に功を挙げ、その子源満仲は鎮守府将軍となり、その後裔は摂津源氏、大和源氏、河内源氏とに分かれた。河内国を本拠地とした河内源氏は源義家(八幡太郎義家)を輩出し、摂関家の家人として中央との関係を築き、受領にも任じられる武家貴族となった。1180年に治承・寿永の乱(源平合戦)が起こり、河内源氏の棟梁であった源頼朝は5年ほどかけて平氏を滅ぼし東日本を征服するに至った。1192年、征夷大将軍に任じられ、鎌倉に最初の幕府(鎌倉幕府)を開いた。。以降河内源氏は「武家の棟梁」として捉えられ、河内源氏からは石川源氏(石川氏)、甲斐源氏(武田氏)、常陸源氏(佐竹氏)、下野源氏(足利氏)、上野源氏(新田氏)などが分派している。摂津国を本拠地とした摂津源氏からは多田源氏、美濃源氏その他が分派している。足利氏は室町幕府を開き、その一族である細川氏・畠山氏・山名氏などは大きな勢力を誇った。戦国時代には足利氏支流の家系はほとんど衰退したものの、清和源氏新田流を称する徳川氏が江戸幕府を開き、島津氏・細川氏・佐竹氏などは大大名として存続した。 嵯峨源氏の源融を祖とする「融流嵯峨源氏」は、摂津国を基盤とした渡辺氏とその分流の松浦氏などを輩出した。また、宇多源氏の中で武家として近江国を基盤とした系統は近江源氏(佐々木氏)と称され、佐々木道誉が室町幕府の重臣となったこともあり、六角氏・京極氏は守護として勢力を築いた。
※この「武家源氏」の解説は、「源氏」の解説の一部です。
「武家源氏」を含む「源氏」の記事については、「源氏」の概要を参照ください。
- 武家源氏のページへのリンク