武家の棟梁
武家の棟梁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:04 UTC 版)
河内源氏は、源頼信が平忠常の乱を、次いで源頼義・源義家が前九年の役、義家が後三年の役を平定し、東国武士を結集して、いわゆる「武家の棟梁」と称される地位を確立した。しかし院や貴族に脅威を与えた河内源氏は、院と結んだ平氏による源氏勢力削減政策により不遇を極め、保元の乱と平治の乱を経て没落するも、先祖が築いた基盤をもとに頼朝が鎌倉幕府を開いたとされていた。しかしそういった主張は近年では否定されつつある。貴族と武士は同じ支配者層であり、貴族と武士が対立関係にあったのではないとされる。また頼朝の隆盛の基盤は源平争乱の結果で得た領地で先祖からのものではない。ただし当時の武士の第一人者とされていたのは間違いないとされる。
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