武家の官位として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 19:27 UTC 版)
後に衛門府の職掌は検非違使・武家に奪われ、鎌倉時代以降は朝廷の機能としては有名無実化していった。しかし官職のなかでもこの衛門府などの武官官職は特に武家に好まれ、専ら武家に対して与えられるようになっていった。室町時代では概ね三管領家の一つである畠山氏の当主が左衛門督に代々任官したため、同家は「金吾家」とも称された。また安土桃山時代の大名である小早川秀秋は中納言の官職とともに左衛門督を兼帯したため、「金吾中納言」と称された。このほか戦国時代には各地に割拠した戦国大名が左衛門少尉を略した「左衛門尉」を受領名として家臣に与え始め(酒井氏で忠次を出した家系など)、江戸時代になると武家官位の制度が確立して、もはや朝廷とはなんの関係もなくこの「左衛門尉」が旗本や御家人などの中級武士に与えられるようになる。江戸町奉行として有名な遠山景元もこれにあたる。
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