武家を中心とした死生観とは? わかりやすく解説

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武家を中心とした死生観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 02:22 UTC 版)

死生観」の記事における「武家を中心とした死生観」の解説

上述のように平安時代死生観変遷する上で重要な転機迎えた時代であったが、もう一つ重要な変化起きていた。武士の台頭である。武士職業柄、死と隣り合わせでありまた仏教殺生戒触れるためか一般に来世はあまり語られていない日本軍記物最初とされる『平家物語』冒頭が「祇園精舎の鐘の声諸行無常響きあり」で始まるとおり仏教色の濃い作品であるが、平清盛病死剛毅遺言残しむなしき土とぞなり給ふ」で結んだり、平維盛の段では雅さ描き桜の花喩えられる)「後生菩提妨げとなりける口惜しさよ」と思いながらも念仏唱えて入水するように武士の個性表される。だが死生観の面では「むなしき」感を見落としてならない。また怨霊恐ろしさ強調されていて最後建礼門院語り鎮魂の役を努めかのようになっている。 『平家物語』舞台貴族的な平安末期であったが、武家政権成立した時代以降戦場での死に向き合わざるを得ない武士の意識大きく反映した死生観育っていった。それがよく表れるのは死を前にした辞世の句である。 四十九一睡の夢 一期栄華は 一盃の酒にしかず は緑にして花は紅 上杉謙信 また辞世死去前)の句か意見分かれるところがあるかもしれない決死状況桶狭間における少人数突撃)を前にした有名な言として 「此時、信長敦盛の舞遊ばし候 人五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻ごとくなり 一度生を得て成せぬ者はあるべきかと候て」 - 『信長公記太田牛一 での織田信長 引用元は「人間五十年 化天の内をくらぶれば夢幻ごとくなり 一度生を受け滅せぬ者の有るべきか」 - 幸若舞敦盛第三段 熊谷発心 いずれも今生夢幻捉えたのであるが、儚いと観じながらもそれをおのずから・当たり前のこととし生ききったという感慨出ている。上の二句の他にも羽柴秀吉明智光秀多数が夢ないしはそれに通じたところのある無常観詠んでいる。夢として詠うのは武士限らず例え平安時代成立して仏教の「諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為楽」の偈を意訳したという 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常なら有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず いわゆるいろは歌であるが、ここでは「浅い夢など見ないで、(何処かへ)越えて行こう」という同じ無常観立ちながらも違う姿勢見える。仏教無縁ではないが同じ言葉扱いながらも独自の意味込めているのが武士の特色といえる武士の死生観は命に執着することを「恥」とし、この世における「名」を重んじるものであった。これは後世江戸幕府論拠とした儒教にも連なる

※この「武家を中心とした死生観」の解説は、「死生観」の解説の一部です。
「武家を中心とした死生観」を含む「死生観」の記事については、「死生観」の概要を参照ください。

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