武家の受領名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 14:16 UTC 版)
室町時代以降、守護大名の間において武功ある家臣や被官に対して、朝廷の正式な位階や除目の伴わない、非公式な官名を授ける風習が生まれる。これが受領名である。多くの場合、大名の傘下にあって城や領地、兵力を有する国人や武将がその対象であった。この風習が転化し、自官や百官名、東百官という人名呼称が武士の間において定着するようになる。こうした主君から受領名を授かる際に交付されるのが官途書出、あるいは受領書出、官途状などといい、武家の格式と功名をあらわす栄誉として重んじられた。 江戸時代以降も官途状の付与という慣習は続いたものの、江戸幕藩体制下では武家官位という形で官職が身分秩序の統制に用いられたため、戦国時代のような幕府や有力大名とその重臣の間で官職が授受または私称されることはなくなっていった。ただし、古河公方の流れを汲む喜連川氏は代々、非正規の官名ながら歴代の鎌倉公方・古河公方の官職である左馬頭や左兵衛督を私称することが容認されており、大名旗本級の身分では受領名を名乗る稀少な例ということができる。
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