武家政権樹立以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:06 UTC 版)
鎌倉幕府成立により政治の実権が武家に移って以降も、天皇を長とする「朝廷」は存在し続けた。 今日において「朝廷」という言葉は「幕府」に対応する言葉としてよく使われるが、これは天皇・公家(公家政権)と武家(武家政権)を対立した存在として捉えるようになった江戸時代中期以降の影響が強い。鎌倉時代(鎌倉殿)、室町時代(室町殿)にあって征夷大将軍(公方)による政権は「幕府」と呼称されておらず、「武家政権=幕府」という用例が一般的になったのは江戸幕府も後期に至ってからであった。そもそも「朝廷」は京都を指す固有名詞ではなく、「江戸幕府」を指して「朝廷」と呼ぶ例さえ広く見られたのである。武家政権(幕府)に対する公家政権(朝廷)という用法は近世もしくは近代の所産といえる。 1867年(慶応3年)の大政奉還と王政復古によって政治権力を回復した「朝廷」は、旧制を模した太政官制を採用した。しかし、これは律令制を廃して成立した全く異質なもので、旧来の朝廷機構は事実上廃止され、新政府によって近代国家の体裁が整えられ、 1885年(明治18年)に太政官制を廃止して内閣制度が発足したことにより、政治機構としての「朝廷」は名実共に消滅した。
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