大政奉還と王政復古とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大政奉還と王政復古の意味・解説 

大政奉還と王政復古(1866年 - 1867年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:21 UTC 版)

幕末」の記事における「大政奉還と王政復古(1866年 - 1867年)」の解説

家茂死後将軍後見職徳川慶喜徳川宗家相続したが、征夷大将軍職への就任拒んでいた。だが、5か月後の1867年1月10日慶応2年12月5日)ついに将軍宣下を受け将軍就任し、家茂弔い合戦として長州制圧することを公言する孝明天皇慶喜を非常に信頼しており、長州征討反対した大原重徳22卿を処罰するほどだった。しかし、1月30日慶応2年12月25日)に天然痘のため天皇崩御する2月13日慶応3年1月9日)に睦仁親王践祚する運びとなった明治天皇)。 薩摩藩西郷大久保利通らは政局主導権を握るため雄藩連合模索し島津久光松平春嶽伊達宗徳山内容堂(前土佐藩主)の上京を促し6月6日慶応3年5月4日)から 四侯会議開催して兵庫開港および長州処分問題について徳川慶喜協議させたが、慶喜政治力上回り団結欠いた四侯会議無力化した6月26日慶応3年5月24日)には摂政二条斉敬以下多く公卿集めた徹夜の朝議により長年懸案であった兵庫開港勅許も得るなど、慶喜による主導権確立されつつあった。さらに慶喜フランス公使ロッシュ助言を容れ、フランス式軍事訓練が行われたほか、榎本武揚らのもとで幕府海軍整えられた。小栗忠順栗本鋤雲らが中心となってフランスとの大借款相談行われたまた、老中制度改められ老中首座板倉勝静備中松山藩主)を首相格として各老中陸軍・海軍国内事務会計外国事務の各総裁兼務する内閣似たかたちがとられ、さらに次官にあたる諸奉行にも有能な人材抜擢されようになった(→慶応の改革)。 こうして幕府が息を吹き返そうとする状況の中、薩摩長州はもはや武力による倒幕しか事態打開できない悟り土佐藩芸州藩取り込みを図る。土佐藩では後藤象二郎坂本龍馬影響もあり、武力倒幕路線回避するために大政奉還提議し薩摩藩もこれに同意したため、7月23日慶応3年6月22日)には薩土盟約締結される。これは徳川慶喜自発的に政権返上することを建白し拒否され場合には武力による圧迫切り替えるであった。しかし兵力発動渋る山内容堂反対され、また薩摩藩慶喜拒否大義名分として結局武力発動しかないと判断していたため、両藩の思惑のずれから10月4日慶応3年9月7日盟約解消結局土佐藩10月29日慶応3年10月3日単独山内容堂老中板倉大政奉還建白書提出したいっぽう薩摩藩大久保・西郷らは、長州藩芸州藩との間に武力背景にした政変計画策定。さらに洛北隠棲中だった岩倉具視工作し中山忠能明治天皇祖父)・中御門経之正親町三条実愛らによって、1867年11月9日慶応3年10月14日)に討幕の密勅下された。ところが、徳川慶喜山内容堂進言採用し同日大政奉還明治天皇奏請しており、討幕派は大義名分失った大政奉還により江戸幕府による政権形式上終了した慶喜1867年11月19日慶応3年10月24日)に将軍職辞職申し出たが、幕府職制当面残されることとなり、実質上は幕府支配は変わらなかった。岩倉大久保らはこの状況覆すべくクーデター計画する1868年1月3日慶応3年12月9日)に、王政復古の大号令が発せられ、慶喜将軍職辞職勅許幕府摂政関白などが廃止され天皇親政基本とし、総裁議定参与などからなる新政府樹立発表された。同日薩摩藩兵などの警護中行われた小御所会議において、徳川慶喜への辞官および領地返上議題となる。会議参加した山内容堂松平春嶽猛反対するが、岩倉大久保らが押し切り、辞官納地決定された。決定受けて慶喜大坂城退去したが、山内容堂松平春嶽徳川慶勝仲介により辞官納地次第骨抜きとなってしまう。そのため、西郷らは相楽総三浪士集めて江戸騒擾起こし旧幕府側を挑発した。江戸市中治安担当した庄内藩勘定奉行小栗忠順らは激昂し薩摩藩邸を焼き討ちした。 なおこの頃政情不安や物価高騰による生活苦などから「世直し一揆」や打ちこわし頻発し、また社会現象としてええじゃないか」なる奇妙な流行広範囲見られた。

※この「大政奉還と王政復古(1866年 - 1867年)」の解説は、「幕末」の解説の一部です。
「大政奉還と王政復古(1866年 - 1867年)」を含む「幕末」の記事については、「幕末」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大政奉還と王政復古」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大政奉還と王政復古」の関連用語

大政奉還と王政復古のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大政奉還と王政復古のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの幕末 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS