兵庫開港とは? わかりやすく解説

兵庫開港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)

神戸外国人居留地」の記事における「兵庫開港」の解説

1858年7月29日安政5年6月19日)、江戸幕府アメリカとの間に日米修好通商条約締結した江戸幕府は同条約第6条において日本におけるアメリカ領事裁判権認め第3条において1863年1月1日文久2年11月12日)に兵庫兵庫津。かつての大輪田泊)を条約港として開港し外国人居住経済活動のために貸与する一定の地域外国人居留地)を設けることを約した江戸幕府間もなくオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の内容条約安政五カ国条約)を締結したが、これらの条約に関する勅許得られず、諸外国交渉行った結果、兵庫開港の期日5年遅らせ1868年1月1日慶応3年12月7日)とした。朝廷側は御所のある京都に近い兵庫開港することに難色示し1865年12月22日慶応元年11月5日)に安政五カ国条約についての勅許与えた後も許そうとせず、延期され開港予定日を約半年後に控えた1867年6月26日慶応3年5月24日になってようやく勅許与えられた。 江戸幕府勅許を得る前から兵庫開港に向けた交渉諸外国行っており、1867年5月16日慶応3年4月13日)にイギリス・アメリカ・フランスとの間に「兵庫港大坂に於て外国人居留地定む取極」(兵庫大阪規定書)を締結した。同取極第1条には「日本政府において条約済の各国兵庫居留地神戸町神戸村)と生田川との間に取極め…」と規定され兵庫津の約3.5km東に位置する神戸村居留地設けられることになった。そしてそれに伴い神戸村海岸建設される新たな港が外国開放されることになった新たな港は1892年明治25年)に勅令により神戸港名付けられた)。 「兵庫開港」において、兵庫津ではなく後の神戸港開放されることになった理由経緯を示す資料存在しないが、複数推測なされている。楠本利夫『増補 国際都市神戸系譜』は、江戸幕府側が外国人敬遠する住民感情考慮し衝突起こらないようにとの配慮から、すでに港として栄え兵庫津当時大坂外港として機能し取引盛んなであった往来激し兵庫津開放避けた推測している。また、新修神戸市歴史編3』および『増補 国際都市神戸系譜』は、人口の多い兵庫津周辺よりも神戸村のほうが用地確保が容易であり、1865年元治2年)に閉鎖され神戸海軍操練所施設活用できたためと推測している。さらに『増補 国際都市神戸系譜』は、1865年11月慶応元年9月/10月)に兵庫津付近海域測量したイギリス公使ハリー・パークス随行員が「兵庫旧市内からやや離れたところにある」居留地予定地について「十分な水深もあり、天然優れた投錨となっている小さな湾に面している」と評価した記録残していることを取り上げ、「兵庫旧市内からやや離れたところにある予定地」とは神戸村指しており、外国側も兵庫津より神戸村のほうが開港場適しているという認識持っていたと推測している。なお、神戸港の港域は1892年明治25年)に拡大され兵庫津を含むようになった。 居留地具体的な設置場所神戸村内の、東は(旧)生田川(後のフラワーロード)、西は鯉川(後の鯉川筋)、南は海と、三方を川と海で囲まれた(北は西国街道(後の花時計線)に接していた)、広さ約78,000坪(約258,000平方メートル)の土地決まった。『新修神戸市史』はこの選定について、「外国人日本人との接触極力回避しようとした幕府配慮うかがえる」としている。

※この「兵庫開港」の解説は、「神戸外国人居留地」の解説の一部です。
「兵庫開港」を含む「神戸外国人居留地」の記事については、「神戸外国人居留地」の概要を参照ください。


兵庫開港(1867-68年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:53 UTC 版)

幕末の砲艦外交」の記事における「兵庫開港(1867-68年)」の解説

ところが、朝廷安政五カ国条約勅許したものの、なお兵庫開港については勅許与えない状況続いた。兵庫開港の勅許得られたのは、延期され開港予定日を約半年後に控えた1867年6月26日慶応3年5月24日)のことである。第15代将軍就任した徳川慶喜2度わたって兵庫開港の勅許要請したいずれも却下され慶喜自身参内して開催要求した朝議経てにようやく勅許を得ることができた。 兵庫開港を約束どおり幕府実行させるため、パークス提案英・仏・米の3ヶ国18隻の大艦隊が兵庫派遣されることとなった1867年12月末に艦隊兵庫到着1868年1月1日慶応3年12月7日)、神戸は無事開港した。その直後慶応4年1月3日1868年1月27日)、鳥羽・伏見の戦い勃発した戦い敗れた徳川慶喜1月6日夜(1月30日)、天保山沖に停泊中の米国軍イロコイに一旦避難その後幕府軍開陽丸江戸脱出した1月11日1868年2月4日)、神戸事件発生し兵庫港停泊中の諸艦の水兵神戸占領した艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲英国 ロドニーRodney 蒸気スクリュー戦列艦 1860年改造 積載量2590トンbmトン排水量4375英トン 850 500NHP2246IHP 70 オーシャンOcean 蒸気スクリュー装甲艦 1865年改造 積載量4047トンbmトン排水量6832英トン 606 1000NHP3750IHP 8インチx47インチx20 バジリスクBasilisk 蒸気外輪スループ 1849年 積載量1031トンbmトン排水量1710英トン 310 400NHP 64ポンドx5(6という記載もあり) リナルドRinaldo 蒸気スクリュースループ 1860年 積載量951トンbmトン排水量1365英トン 175 200NHP745IHP 40ポンドアームストロング砲x568ポンド砲x132ポンドx8 ラトラーRattler 蒸気スクリュースループ 1860年 積載量950トンbmトン排水量1280英トン 175 200NHP853IHP 40ポンドアームストロング砲x568ポンド砲x132ポンドx8 コーモラントCormorant 蒸気スクリュー砲艦 1860年 積載量695トンbmトン排水量877英トン 90 200NHP 7インチx164ポンド砲x2 サーペントSerpent 蒸気スクリュー砲艦 1860年 積載量695トンbmトン排水量877英トン 90 200NHP 7インチx164ポンド砲x2 スナップSnap 蒸気スクリューガンボート 1855年 積載量232トンbmトン37 60NHP 68ポンド砲x2 シルビアSylvia 蒸気スクリュー測量艦 1866年 積載量695トンbmトン排水量865英トン 不明 200NHP 4 サラミスSalamis 蒸気外輪送迎1865年 積載量835トンbmトン排水量985英トン 不明 250NHP 20ポンド砲x2 アドベンチャーAdventure 蒸気スクリュー軍隊輸送艦 1855年購入 積載量1593トンbmトン不明 40NHP 2 マニラManilla 蒸気スクリュー倉庫1860年購入 積載量295トンbmトン不明 70NHP 2 フランス ラプラスLaplace 蒸気スクリューコルベット 不明 排水量1900トン 不明 不明 10 米国 ハートフォードHartford 蒸気スクリュースループ 1859年 積載量1900トンbmトン排水量2900トン 302 1024IHP 9インチダールグレン砲x2020ポンドパロット砲x212ポンド砲x2 シェナンドーShenandoah 蒸気スクリュースループ 1863年 積載量1375トンbmトン排水量2030トン 175 1300IHP 150ポンドパロット砲x111インチダールグレン砲x230ポンドパロット砲x124ポンド榴弾砲x212ポンド砲x2重12ポンドx2 イロコイIroquois 蒸気スクリュースループ 1859年 積載量1016トンbmトン排水量1488トン 123 1200IHP 100ポンドx19インチ砲x160ポンド砲x132ポンドx4 オーネイダUSS Oneida 蒸気スクリュースループ 1862年 積載量1032トンbmトン排水量1488トン 123 1200IHP 11インチ砲x28インチ砲x630ポンド砲x124ポンド砲x212ポンド砲x1 アルーストックAroostook 蒸気スクリュー砲艦 1862年 積載量507トンbmトン排水量1488トン 114 400IHP 11インチダールグレン砲x124ポンド砲x120ポンド砲x112ポンド砲x2

※この「兵庫開港(1867-68年)」の解説は、「幕末の砲艦外交」の解説の一部です。
「兵庫開港(1867-68年)」を含む「幕末の砲艦外交」の記事については、「幕末の砲艦外交」の概要を参照ください。

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