天皇すり替え説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:29 UTC 版)
孝明天皇が暗殺され、鳥羽伏見の戦い後に長州が朝敵になるから明治維新のとき明治天皇がすりかえられたとする陰謀説。 この説では岩倉具視が長州藩を御所に招きいれ、伊藤博文は明治維新への障害である孝明天皇と皇位継承者であった睦仁親王を暗殺し、睦仁親王(明治天皇)を南朝の子孫である大室寅之祐にすりかえたという。ところが、孝明天皇崩御時の長州藩は朝敵であり御所はおろか京都にすら入れる状況でなく、岩倉具視も謹慎中で御所に参内できる立場ではなかったため、岩倉とは無関係の佐幕派公家により暗殺されたという説もある。(長州派公家はすでに追放されている) この説の主張者は、長州藩が出雲族の流れにあたるとし、長州藩は忍者国家(諜報国家)であったと主張している。 この説ではグラバーが元勲たちを明治維新へ後押しした、とされる。この説においてはグラバーはサッスーン(en:Albert Abdullah David Sassoon)の部下であるとされ、サッスーンはロスチャイルドのインド・中国にかけての極東代理人とされている。元勲たちは大日本帝国憲法を作るにあたってロスチャイルドのもとに留学しているとする。日露戦争で日本が勝利できたのは、ロスチャイルドと深いつながりのあるジェイコブ・シフが起債に協力したおかげであるという見解もある。ロスチャイルドとシフはライバル関係にあったとする説もある。 この説の根拠としては 14代将軍徳川家茂と孝明天皇が一年違いで死亡していること 北朝の系統である明治天皇が南朝を正統と認めたこと。ただし正統と認められたのは三種の神器を所持していた後亀山天皇まで。南朝の後亀山天皇から神器を譲られた、北朝の後小松天皇以降は北朝が正統である。南北朝正閏問題を参照。 天皇は明治天皇以降、ガーター勲章を受けている(ガーター勲章のStranger Knights and Ladiesは、通常外国の国家元首に贈られる勲章であり、イギリス国王も代々大勲位菊花章頸飾を天皇から受けている)。 大室寅之祐の弟大室庄吉の子孫は現在「大室天皇」を名乗っている。 などをあげている。 さらに、もう一つの説として、15代将軍の徳川慶喜によって暗殺されたという説がある。当時、兵庫開港要求事件に直面していた慶喜は、朝廷に対して兵庫開港の勅令を求めるも反対派である孝明天皇から二度も却下されていた。その一方で、兵庫開港を迫る列強はついに武力開港を示唆するようになり危機が高まっていた。これにより板挟みになった慶喜は、下関戦争の二の舞だけは避けようと考え、御所の警備を担当させていた松平容保に命じて密かに孝明天皇を暗殺した。反対急先鋒の孝明天皇が消えたため朝廷も態度を軟化、兵庫開港の勅令を発することになり、慶喜はなんとか兵庫開港に漕ぎ着けたという。 孝明天皇の命令により徳川慶喜等が明治天皇を箕作奎吾にすり替えたとする水原紫織の説。
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