選定について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:00 UTC 版)
「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」の記事における「選定について」の解説
ニューイヤーコンサートの曲目の選定は、ヨハン・シュトラウス協会会長やシュトラウス研究家など「シュトラウス一家の権威」が集まって行われている。そこで決まった提案を指揮者とウィーン・フィルに送付し、この両者で検討される。この際、ポピュラーで取り上げられる回数の多い曲と、なじみのない曲やニューイヤーコンサート初登場の曲を、出来るだけ交互に演奏するプログラムになるよう吟味される(指揮者によっては、その慣習に沿わない場合もある)。 ボスコフスキー時代には、このプログラムから約半数の曲が、英デッカ・レコードにより事前にスタジオ録音され、LPとして各国で年末発売されていた(日本ではキングレコード)が、これらのアルバムは十年にわたって曲目の重複が無かった(そのため、キングレコードはシュトラウス生誕150年の1975年に『ウィンナ・ワルツ大全集』と銘打った10枚組セットにまとめて発売した)。 曲目は、基本的にシュトラウス一家とウィーン・フィルやシュトラウス一家に縁のある作曲家(オットー・ニコライ、ヨーゼフ・ランナー、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世、フランツ・スッペ、カール・ミヒャエル・ツィーラーなど)の曲で構成されるが、1977年のヴィリー・ボスコフスキーはシューベルトのイタリア風序曲(生誕180年)を、1991年はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(没後200年)の『コントルダンス』第1番K.609「もう飛ぶまいぞ」、同第3番、『3つのドイツ舞曲』第3番K.605「そり遊び」、ジョアキーノ・ロッシーニ『どろぼうかささぎ』序曲、フランツ・シューベルト(ブルーノ・マデルナ編曲)『ポルカ』『ギャロップ』とシュトラウス一家と離れている作曲家の作品が演奏された(指揮:アバド)。1997年にはフランツ・フォン・スッペの軽騎兵が演奏された。(指揮者はリッカルド・ムーティ)2003年のニューイヤーコンサートではカール・マリア・フォン・ウェーバーの『舞踏への勧誘』とヨハネス・ブラームス(ヨハン・シュトラウス2世と交友関係があった)の『ハンガリー舞曲』第5番・第6番が演奏された(指揮:アーノンクール)。モーツァルト生誕250周年となる2006年のニューイヤーコンサートではモーツァルト『フィガロの結婚』序曲やヨーゼフ・ランナー『モーツァルト党』などが演奏された(指揮:ヤンソンス)。また、2009年には、当コンサート史上はじめてフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの曲が、彼の没後200年を記念して演奏された(曲は交響曲第45番嬰ヘ短調『告別』第4楽章)(指揮:バレンボイム)。2011年には生誕200年を記念してフランツ・リストの『メフィスト・ワルツ第一番』が、他にはジャック・オッフェンバックの『天国と地獄』序曲なども演奏されている(指揮:マゼール・1980年)。
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