源希とは? わかりやすく解説

源希

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 13:35 UTC 版)

 
源 希
時代 平安時代前期
生誕 嘉祥2年(849年
死没 延喜2年正月19日902年3月1日
官位 従三位中納言
主君 陽成天皇光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 嵯峨源氏
父母 父:源弘
兄弟 同、撰、雙、、道、、愗、就、昭、近
不詳
号、
特記
事項
中納言兼[左]大弁例
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源 希(みなもと の まれ/のぞむ/ねがう)は、平安時代前期の公卿嵯峨源氏大納言源弘の六男。官位従三位中納言

経歴

元慶8年(884年光孝天皇即位に伴って従五位下叙爵し、内蔵助任官する。仁和元年(885年民部少輔ついで右衛門権佐を経て、仁和2年(886年)右少弁となる。宇多朝初頭の仁和4年(888年)従五位上に叙せられる。

宇多朝では弁官を務めながら、寛平3年(891年右近衛少将(兼左少弁)と近衛次将も兼帯する。さらには、侍従五位蔵人も兼ね天皇にも近侍した。寛平4年(892年正五位上・右近衛権中将、寛平5年(893年従四位下蔵人頭兼右大弁、寛平6年(894年)左近衛中将と文武の要職を務めながら昇進し、寛平7年(895年参議に任ぜられ公卿に列した。

寛平9年(897年醍醐天皇の即位に前後して、従四位上・左大弁に叙任される。昌泰2年(899年)には上位の参議6名(藤原有実源直源貞恒十世王藤原有穂源湛)を超えて従三位中納言に叙任された。

延喜2年(902年)正月19日薨去享年54[1]。最終官位は中納言従三位。

官歴

公卿補任』による。

系譜

  • 父:源弘
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:源号
    • 男子:源等(880-951)

脚注

  1. ^ 『日本紀略』
  2. ^ a b c d e f 『近衛府補任』

参考文献





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