後裔氏族
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『日本書紀』の日本武尊系譜によれば、ヤマトタケルは犬上君・武部君(稲依別王後裔)、讚岐綾君(武卵王後裔)、伊予別君(十城別王後裔)ら諸氏族の祖とされる。 『古事記』の倭建命系譜によれば、ヤマトタケルは犬上君・建部君(稲依別王後裔)、讚岐綾君・伊勢之別・登袁之別・麻佐首・宮首之別宮道之別か(建貝児王後裔)、鎌倉之別・小津石代之別・漁田之別(足鏡別王後裔)ら諸氏族の祖とされる。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京皇別 犬上朝臣 - 出自は諡景行皇の子の日本武尊。 右京皇別 建部公 - 犬上朝臣同祖。日本武尊の後。 和泉国皇別 和気公 - 犬上朝臣同祖。倭建尊の後。 和泉国皇別 県主 - 和気公同祖。日本武尊の後。 和泉国皇別 聟本 - 倭建尊三世孫の大荒田命の後。 なお、『日本書紀』景行天皇40年条では日本武尊のため「武部(たけるべ)」を定めると見え、これを基に建部(武部)をヤマトタケルの名代部とする説もあったが、事実としては名代部ではなく軍事的職業部であったとされる。
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後裔氏族
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『日本書紀』では、木菟宿禰について平群臣の祖とする。また『古事記』では平群臣・早良臣・馬御樴(うまみくい)連ら諸氏族の祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 右京皇別 平群朝臣 - 石川朝臣同氏。武内宿禰男の平群都久宿禰の後。 右京皇別 平群文室朝臣 - 同都久宿禰の後。 右京皇別 都保朝臣 - 平群朝臣同祖。都久足尼の後。 大和国皇別 馬工連 - 平群朝臣同祖。平群木兎宿禰の後。 河内国皇別 早良臣 - 平群朝臣同祖。武内宿禰男の平群都久宿禰の後。 河内国皇別 額田首 - 早良臣同祖。平群木兎宿禰の後。 摂津国未定雑姓 韓海部首 - 武内宿禰男の平群木菟宿禰の後。
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後裔氏族
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アメノオシヒについて、『古事記』・『日本書紀』とも大伴連(大伴氏)の祖とする。 また『先代旧事本紀』「神代本紀」・「天神本紀」においても大伴連の祖とし、『古語拾遺』では大伴宿禰の祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京神別 天神 大伴宿禰 - 高皇産霊尊五世孫の天押日命の後。続けて天孫降臨の際の天押日命の伝承を載せる。 右京神別 天神 大伴大田宿禰 - 高魂命六世孫の天押日命の後。 右京神別 天神 佐伯日奉造 - 天押日命十一世孫の談連(大伴談)の後。 大和国神別 天神 高志連 - 天押日命十一世孫の大伴室屋大連公の後。 河内国神別 天神 家内連 - 高魂命五世孫の天忍日命の後。 河内国神別 天神 佐伯首 - 天押日命十一世孫の大伴室屋大連公の後。 大伴氏のカバネは初め「連」であったが、天武天皇13年(684年)の八色の姓制定時に「宿禰」を賜っており、カバネの記載が異なるのはこのことによる。
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後裔氏族
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息速別命について、『古事記』では沙本穴太部之別、『新撰姓氏録』では阿保朝臣の祖とする。 沙本穴太部(さほのあなほべ)大和国添上郡沙本(現・奈良県奈良市中央北方の佐保川上流域)を拠点としたと見られる豪族。「穴太部/穴穂部」とは第20代安康天皇(穴穂天皇)の御名代の部で、沙本に限らず全国各地に確認される。 阿保氏(あほうじ)カバネは君のち朝臣。伊賀国伊賀郡阿保村(現・三重県伊賀市阿保周辺)を治めたとされる豪族。伊賀国造の一族とも推定されている。 『新撰姓氏録』によれば、息速別命は阿保に宮室を作って封邑とし、子孫は第19代允恭天皇のときに「阿保君」の姓を賜った。また、天平宝字8年(764年)に「阿保朝臣」姓を賜って改姓したという。 『続日本紀』によれば、「阿保君」姓は息速別命四世孫の須禰都斗王が賜ったとする。その後、第21代雄略天皇の代に阿保君意保賀斯が「健部君(建部氏)」の姓を賜り、のち延暦3年(784年)に建部朝臣人上らに「阿保朝臣」、健部君黒麻呂等に「阿保公」姓が下賜されたという。 『続日本後紀』には伊枳速日命の苗裔として「時統氏」が見え、伊枳速日命を息速別命と同一人物と見てこの時統氏も後裔氏族とする説もある。また、下野国(栃木県)の若田氏にも後裔とする伝承がある(後述)。 そのほか、小槻氏(官務家)にも命の後裔とする記載が見られる。『日本三代実録』によると、息速別命後裔という小槻山今雄・有緒らに「阿保朝臣」の氏姓が下賜されている。この阿保氏はのち小槻氏と改姓し、小槻氏嫡流の壬生家が明治に提出した系譜『壬生家譜』でも、息速別命の子孫としている。ただしこの氏は本来祖別命(落別命:息速別命の異母兄弟)の後裔であるため、息速別命後裔を称したのは朝臣姓を得るための仮冒とする説がある。一方、小槻山君、伊賀国造と阿保君との同族性から、息速別命と祖別命を同一人物と見る説もある。
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後裔氏族
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『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 右京皇別 新良貴 - 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の男の稲飯命の後。続けて「是出於新良國。即為國主。稻飯命出於新羅國王者祖合」と記し、稲飯命は新羅王の祖であると伝える。
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後裔氏族
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『日本書紀』『古事記』によれば、田道間守は三宅連(三宅氏)の祖とされる。 なお、この三宅連について『新撰姓氏録』右京諸蕃 三宅連条・摂津国諸蕃 三宅連条では、いずれも天日桙命(天日槍)後裔と記されている。
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後裔氏族
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別水彦命の後裔は諏訪氏(洲羽国造)、木蘇国造、守矢氏になったとされ、また智弩神(智努命)の後裔は千野氏になったとされる。
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後裔氏族
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『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京諸蕃 大市首 - 出自は任那国人の都怒賀阿羅斯止。 左京諸蕃 清水首 - 出自は任那国人の都怒何阿羅志止。 大和国諸蕃 辟田首 - 出自は任那国主の都奴加阿羅志等。
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後裔氏族
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上記のように、アメノヒボコは『日本書紀』『古事記』では但馬諸助(多遅摩母呂須玖)から神功皇后に至る諸人物の祖、また『筑前国風土記』逸文では怡土県主らの祖とされる。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京諸蕃 橘守 - 三宅連同祖。天日桙命の後。 右京諸蕃 三宅連 - 新羅国王子の天日桙命の後。 大和国諸蕃 糸井造 - 三宅連同祖。新羅国人の天日槍命の後。 摂津国諸蕃 三宅連 - 新羅国王子の天日桙命の後。
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後裔氏族
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『古事記』では、日子八井命について茨田連・手島連らの祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 右京皇別 茨田連 - 多朝臣同祖。神八井耳命男の彦八井耳命の後。 山城国皇別 茨田連 - 茨田宿禰同祖。彦八井耳命の後。 摂津国皇別 豊島連 - 多朝臣同祖。彦八井耳命の後。 摂津国皇別 松津首 - 豊島連同祖。 河内国皇別 茨田宿禰 - 多朝臣同祖。彦八井耳命の後。同条では、子に野現宿禰の名を挙げる。 河内国皇別 下家連 - 彦八井耳命の後。 河内国皇別 江首 - 彦八井耳命七世孫の来目津彦命の後。 河内国皇別 尾張部 - 彦八井耳命の後。
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後裔氏族
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『新撰姓氏録』では、天津彦根命・天穂日命・天道根命などの子孫と合わせて、天火明命の子孫を「天孫」と称している。天孫系は高天原から尾張国や丹波国にも移り、尾張氏・津守氏・海部氏・丹波氏など多くの氏族の祖神とされ、『海部氏系図』(あまべしけいず)にも始祖としてその名が記されている。 穂積氏・物部氏の祖である饒速日命と同一ともいわれる。但し、饒速日命と天火明命の同一を否定し、また、饒速日命を邇邇芸命の兄とするのは両者を連結するための創作・強弁であるとする研究もある。実際に、饒速日命が神武天皇の一世代前にあたるため、神武天皇の三世代前(二世代前)にあたる天火明命と同一神にはなりえない。また『姓氏録』では天火明命の子孫は「天孫」とする一方、饒速日命の子孫は「天神」と区別している。
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後裔氏族
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倭国造 久比岐国造 - 崇神天皇の御代に椎根津彦の5世孫の御戈命が任命された。 明石国造 - 応神天皇の御代に椎根津彦の8世孫の都弥自宿禰が任命された。 青海氏 - 久比岐国造族の頸城直の支族。 吉備海部氏 依羅物忌氏 海氏
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後裔氏族
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『古事記』では蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣ら諸氏族の祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京皇別 桜井朝臣 - 石川朝臣同祖。蘇我石川宿禰四世孫の稲目宿禰大臣の後。 左京皇別 箭口朝臣 - 宗我石川宿禰四世孫の稲目宿禰の後。
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後裔氏族
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大碓皇子について、『日本書紀』では身毛津君・守君の祖とし、『古事記』では守君・大田君・嶋田君・三野之宇泥須和気・牟宜都君らの祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京皇別 牟義公 - 景行天皇皇子の大碓命の後。 左京皇別 守公 - 牟義公同氏。大碓命の後。 河内国皇別 大田宿禰 - 大碓命の後。 河内国皇別 守公 - 牟義公同祖。大碓命の後。 河内国皇別 阿礼首 - 守公同祖。大碓命の後。 和泉国皇別 池田首 - 景行天皇皇子の大碓命の後。
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後裔氏族
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長国造(阿波国南部) - 成務天皇朝に9世孫の韓背宿禰が国造となる。 億岐氏(隠岐島) - 応神天皇朝に5世孫の十挨彦命が国造となる。 都佐国造(土佐国東部) - 成務天皇朝に9世孫の小立宿禰が国造となる。
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後裔氏族
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磐鹿六鴈について、『日本書紀』では膳臣(かしわでのおみ、のち高橋氏)の遠祖とするとともに、上記のように膳大伴部(かしわでのおおともべ)が与えられたと見える。 また『新撰姓氏録』(高橋朝臣本系)逸文によれば、景行天皇の時に磐鹿六獦命が「膳臣」の氏姓を賜ったのち、天武天皇の時に六獦命十世孫の膳国益が「高橋朝臣(高橋氏)」に改めたという。 『新撰姓氏録』(抄録)には、次の氏族が後裔として記載されている。 左京皇別 膳大伴部 - 阿倍朝臣同祖。大彦命孫の磐鹿六雁命の後。続けて、景行天皇が淡水門に至った時に磐鹿六雁が白蛤を膳となして進上したので、六雁は膳大伴部を賜ったとする。 右京皇別 若桜部朝臣 - 阿倍朝臣同氏。大彦命孫の伊波我牟都加利命の後。 この抄録では、高橋朝臣(左京皇別)は大稲輿命の後として記載される。その条の中では、景行天皇のときに大蛤を献じたことにより膳臣の姓を賜り、天武天皇12年(683年)に膳臣から高橋朝臣に改賜姓されたとする。 なお、『新撰姓氏録』に見える「膳大伴部」は膳氏の統轄下に置かれた伴造氏族を指すが、その本質は『高橋氏文』に見えるように国造級の地方豪族層であったと見られることから、姓氏録の記すような膳氏との同族関係は本来はなかったとされる。
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後裔氏族
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土佐吉良氏天正期に記された『吉良物語』によると、希義の遺児・源希望が頼朝に取り立てられ、吉良荘(現 高知県高知市春野町弘岡上周辺)を与えられたと伝えられている。その末裔が戦国時代の土佐七雄の1つの土佐吉良氏となったとされる。
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後裔氏族
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邇芸速日命(宇摩志麻遅命)を祖とする氏族に物部氏がある。穂積氏、熊野国造和田氏も同祖とされる。弓削氏は物部氏と関連が深い。 籠神社の社家、海部氏に伝わる系図については国宝の指定を受けている。海部氏は尾張氏と同じく天之火明命の子孫であり、『先代旧事本紀』の火明命=饒速日命同一神説を前提とした場合は同祖となる。
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後裔氏族
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秀郷の子孫は、中央において源高明に仕え、官職を得るなどした。そしてその結果、鎮守府将軍として陸奥国に勢力を伸ばす一族や、関東中央部を支配する武家諸氏が現れた。 下野国佐野氏 足利氏 (藤原氏) 小山氏 下河辺氏 益田氏 長沼氏 皆川氏 薬師寺氏 田沼氏 下野小野寺氏 榎本氏 上野国丸橋氏 大胡氏 武蔵国比企氏 吉見氏(小山氏支流) 常陸国那珂氏 安島氏 小野崎氏 小貫氏 内桶氏 茅根氏 根本氏 助川氏 川野辺氏 佐藤氏 水谷氏 江戸氏 綿引氏 下総国結城氏 下河辺氏 伊藤氏 上野国赤堀氏 岩櫃斎藤氏 桐生氏 佐貫氏 大胡氏 山上氏 園田氏 相模国山内首藤氏(首藤氏→山内氏) 波多野氏(秦野氏) 沼田氏 また京都でも武門の名家として重んじられた結果、子孫は以下のような広範囲に分布した。 紀伊佐藤氏 尾藤氏 伊賀氏 湯浅氏 近江近藤氏 蒲生氏 今井氏 伊勢伊藤氏 大口氏 信濃大石氏 陸奥奥州藤原氏 その他内藤氏 佐藤氏 大友氏 少弐氏 龍造寺氏 立花氏 武藤氏 平井氏 筑紫氏 田村氏 大屋氏 長沼氏 長谷川氏 末次氏 大平氏等々
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後裔氏族
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『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 皇別 左京 上毛野朝臣 - 下毛野朝臣同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。(以下略)。 皇別 左京 住吉朝臣 - 上毛野同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。 皇別 左京 池原朝臣 - 住吉同氏。多奇波世君の後。 皇別 左京 桑原公 - 上毛野同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。 皇別 左京 川合公 - 上毛野同氏。多奇波世君の後。 皇別 左京 商長首 - 上毛野同氏。多奇波世君の後。三世孫・久比、(以下略)。 『日本書紀弘仁私記』序には「諸蕃雑姓」に注として、 「田辺史、上毛野公、池原朝臣、住吉朝臣らの祖、思須美(しすみ)、和徳(わとく)の両人、大鷦鷯天皇(おおさざき-、仁徳天皇)御宇の年、百済国より化来す。しかして言うに、おのれらの祖、これ貴国将軍上野公竹合(たかはせ)なりといえり。天皇、矜憐して彼の族に混ず。しかして、この書に諸蕃人(= 渡来人)というなり。」 とあり、田辺史・上毛野公・池原朝臣・住吉朝臣4氏が百済からの渡来人でありながら、竹葉瀬の後裔を仮冒したことがわかる。
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後裔氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 04:14 UTC 版)
『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 皇別和泉国 登美首 - 豊城入彦命男の倭日向建日向八綱田命の後。 和泉国 軽部 - 倭日向建日向八綱田命の後。雄略天皇御世、加里の郷を献上し軽部君の姓を賜った。 未定雑姓摂津国 我孫 - 豊城入彦命男の八綱多命の後。 和泉国 我孫公 - 豊城入彦命男の倭日向建日向八綱田命の後。
※この「後裔氏族」の解説は、「八綱田」の解説の一部です。
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後裔氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/04 13:10 UTC 版)
『古事記』では波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君ら諸氏族の祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 左京皇別 道守朝臣 - 波多朝臣同祖。波多矢代宿禰の後。 河内国皇別 道守朝臣 - 波多朝臣同祖。武内宿禰男の八多八代宿禰の後。 河内国皇別 道守臣 - 道守朝臣同祖。武内宿禰男の波多八代宿禰の後。 和泉国皇別 道守朝臣 - 波多朝臣同祖。八多八代宿禰の後。 また『日本三代実録』貞観6年(864年)8月8日条によると、岡屋公祖代が「八多朝臣」の姓を賜った際、その先祖は「八太屋代宿禰」を出自としたと見える。
※この「後裔氏族」の解説は、「羽田矢代」の解説の一部です。
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後裔氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/04 13:09 UTC 版)
甘美内宿禰について、『古事記』孝元天皇段では山代内臣(内氏)の祖とする。この「山代の内」とは、『和名類聚抄』に見える山城国綴喜郡有智郷(現・京都府八幡市内里)を指すとされる。同地には、『延喜式』神名帳に記載される式内社として内神社が鎮座する。 また『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 大和国皇別 山公 - 内臣同祖。味内宿禰の後。 そのほか『蘇我石川両氏系図』では、甘美内宿禰の尻付において内臣・山公の祖とする。
※この「後裔氏族」の解説は、「甘美内宿禰」の解説の一部です。
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後裔氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/04 13:10 UTC 版)
『古事記』では許勢臣(巨勢氏)・雀部臣・軽部臣ら諸氏族の祖とする。 また前述のように、『続日本紀』では雀部朝臣・軽部朝臣・巨勢朝臣らの祖とする。 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 右京皇別 巨勢朝臣 - 石川同祖。巨勢雄柄宿禰の後。 右京皇別 巨勢楲田朝臣 - 雄柄宿禰四世孫の稲茂臣の後。 右京皇別 巨勢斐太臣 - 巨勢楲田同氏。巨勢雄柄四世孫の稲茂男荒人の後。 和泉国未定雑姓 鵜甘部首 - 武内宿禰男の己西男己柄宿禰の後。 そのほか、『越中石黒系図』では斐太朝臣、『蘇我石川両氏系図』では鵜甘・槭田・斐太を後裔氏族として記載する。
※この「後裔氏族」の解説は、「許勢小柄」の解説の一部です。
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後裔氏族
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都加使主について『日本書紀』では、前述のように倭漢直(東漢氏)の遠祖に位置づけられている。 また「坂上系図」所引『新撰姓氏録』逸文では、東漢氏の多くの支族(62氏)が都賀使主から分かれた旨が記される。 『新撰姓氏録』(抄録)では、次の氏族が後裔として記載されている。 右京諸蕃 檜原宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直の孫の賀提直の後。 右京諸蕃 内蔵宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直四世孫の東人直の後。 右京諸蕃 山口宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直四世孫の都黄直の後。 右京諸蕃 平田宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直五世孫の色夫直の後。 右京諸蕃 佐太宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直三世孫の兎子直の後。 右京諸蕃 谷宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直四世孫の宇志直の後。 右京諸蕃 畝火宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直三世孫の大父直の後。 右京諸蕃 桜井宿禰 - 坂上大宿禰同祖。都賀直四世孫の東人直の後。 右京諸蕃 文忌寸 - 坂上大宿禰同祖。都賀直の後。
※この「後裔氏族」の解説は、「都加使主」の解説の一部です。
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後裔氏族
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『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 皇別 左京 吉弥侯部 - 上毛野朝臣同祖。豊城入彦命六世孫の奈良君の後。
※この「後裔氏族」の解説は、「奈良別」の解説の一部です。
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