熊野国造とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 社会 > 身分 > 国造 > 熊野国造の意味・解説 

熊野国造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 23:14 UTC 版)

熊野国造
本姓 熊野氏
家祖 大阿刀足尼
種別 神別天神
出身地 大倭国
主な根拠地 熊野国(のちの紀伊国
著名な人物 #人物参照
支流、分家 (括弧内は姓)
物部氏(連)
凡例 / Category:日本の氏族

熊野国造(くまののくにのみやつこ、くまのこくぞう)とは、熊野国(後の紀伊国南部)を支配した国造

概要

祖先

氏族

熊野氏(くまのうじ、)。奈良時代には熊野広浜を輩出した。

「和田氏系図」によると、熊野国紀伊国に編入されてからは牟婁郡大領、また熊野本宮禰宜の職に就き、代々本宮を奉斎したという。さらに「和田氏系図」によると、醍醐天皇の代に牟婁郡大領(従五位下右衛門尉熊野広方(橘広方)橘姓に改姓(橘良殖猶子となったか)、広方の娘は鈴木良氏に嫁いで鈴木重氏の生母となった。広方の 3代後の橘良冬(和田良冬)が和田庄司を称した。

それ以来、国造家は和田庄司(和田国造)を称して和田氏となり、神仏習合の時代に中央の後盾をえた熊野三山社僧勢力の筆頭であった熊野別当の勢力におされたが、子孫は土豪として紀伊国全域、河内国などに勢力を持った。

本拠

支配領域

国造の支配領域は当時熊野国と呼ばれた地域、後の紀伊国牟婁郡、現在の和歌山県南部と三重県南部にあたる。東部は島津国造、北西部は紀国造と接している。

氏神

紀伊国牟婁郡式内社である熊野本宮大社か。名神大社の格を持つ。

関連神社

子孫

脚注

  1. ^ 初代国造大阿刀足尼(おおあとのすくね)の子の稲比が「直」(あたえ)の姓を賜ったので本来は「熊野直」だが、その子孫に熊野本宮禰宜に任じた伍百枝がおり、伍百枝の孫の蝶のとき宗家は連(むらじ)を賜った。
  2. ^ 太田亮 1935, pp. 2144–2145.

参考文献

関連項目





熊野国造と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「熊野国造」の関連用語

熊野国造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



熊野国造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの熊野国造 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS