熊野広浜とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 熊野広浜の意味・解説 

熊野広浜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 06:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

熊野 広浜(くまの の ひろはま、生年不明 - 神護景雲3年4月6日769年5月15日))は、奈良時代中期から後期にかけての女官紀伊国牟婁郡からの采女位階従四位下

生涯

聖武朝天平17年(745年)正月、粟凡若子気多十千代飯高笠目茨田弓束らとともに正六位下から従五位下に昇叙したとあるのが、史料における初見[1]

淳仁朝天平宝字5年(761年)6月に、光明皇太后国忌御斎への伴奉の労により、多気弟女多可浄日らとともに従五位上 から正五位下に昇叙[2]

天平神護元年(765年)正月、藤原仲麻呂の乱における論功により、大野仲智安倍都与利・多可浄日とともに、正五位上になる[3]。同年、称徳天皇紀伊国への行幸に随伴し、従四位下に叙される[4]。本国出身の広浜の伴奉に報いる恩賞であったものと思われる[5]

その後、後宮から退き、神護景雲3年(769年)4月、「散事従四位下牟婁采女熊野直広浜卒しぬ」と記されている[6]

官歴

続日本紀』による。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『続日本紀』巻第十六、聖武天皇 天平17年正月7日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第二十三、廃帝 淳仁天皇 天平宝字5年6月26日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年正月7日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年10月22日条
  5. ^ 日本図書センター『日本女性人名辞典』
  6. ^ 『続日本紀』巻第二十九、称徳天皇 天平神護3年4月5日条

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  熊野広浜のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「熊野広浜」の関連用語

熊野広浜のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



熊野広浜のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの熊野広浜 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS