「紀伊」の名称と由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:41 UTC 版)
7世紀に成立した当初は、木国(現代の標準語・共通語表記:きのくに)であった。名称の由来として、雨が多く森林が生い茂っている様相から「木国」と命名された、という説がある。また、今の和歌山県北部が、有力豪族である紀国造が支配していた地域であるから「紀の国」というようになった、という説もある。実際に、律令制以前の紀伊国は紀国造の領土のみであり、熊野国造の領土(牟婁郡)を含まなかった。 和銅6年(713年)に「雅字(良い文字の意)二文字で国名を表すように」との勅令が出された時、紀伊国と表記するようになった。現代の近畿方言では「木」(きい)、「目」(めえ)、「手」(てえ)のように、1拍語を2拍で発音する傾向があるが、木国も同様、もともと当地(または都である奈良)の発音で「きいのくに」だったため当て字して「紀伊国」とした、とする説がある。逆に、「紀伊国」と書きながら「伊」は黙字で、後に「きいのくに」と読まれるようになった、とする説もある。ただし、奈良時代の日本語の発音は不明の点も多く、はっきりしない。
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