くに‐な【国名】
読み方:くにな
平安時代、宮中の女官や僧侶などの呼び名に国の名を付けたもの。女官は父や兄・夫の任国にちなんで、また僧侶はその生国にちなんでつけられた。和泉式部(いずみしきぶ)・讃岐典侍(さぬきのすけ)の類。
こく‐めい【国名】
読み方:こくめい
国の名称。
2 日本における、古代から近世までの行政区画の土地の名。→旧国名
[補説] よく使用される国家略称
米 アメリカ(亜米利加)
英 イギリス(英吉利)
伊 イタリア(伊太利)
印 インド(印度)
豪 オーストラリア(豪太剌利)
墺 オーストリア(墺太利)
蘭 オランダ(和蘭)
加 カナダ(加奈陀)
希 ギリシャ(希臘)
瑞 スイス(瑞西)/スウェーデン(瑞典)
西 スペイン(西班牙)
泰 タイ(泰)
独 ドイツ(独逸)
土 トルコ(土耳古)
洪 ハンガリー(洪牙利)
比 フィリピン(比律賓)
伯 ブラジル(伯剌西爾)
仏 フランス(仏蘭西)
越 ベトナム(越南)
葡 ポルトガル(葡萄牙)
墨 メキシコ(墨西哥)
露 ロシア(露西亜)
国名
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注釈
- ^ 間宮林蔵述村上貞助編『東韃紀行』国立公文書館デシタルアーカイブ 東韃地方紀行 中巻(文化八年(1811年)筆原本画像)の中ほどに間宮林蔵を接見した清朝役人が差し出した名刺の内容が記載されており、「大清国」と書かれている
出典
国名
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「身代わり伯爵シリーズ」の記事における「国名」の解説
リゼランド王国 ミレーユが住む国。開放的な女王が統治する国。首都サンジェルヴェは文化と芸術に秀でた街で、女王が率いる宮廷劇団もある。ミレーユの故郷・シジスモンは商人の町として名高い。象徴はスミレ。 アルテマリス王国 物語の中心となる国。首都はグリンヒルデ。西大陸最大の国で、リゼランドの北側に位置し、ベルンハルト公爵領は国境に近い。首都の一角にあるルーヴェルンはいわゆる「夜の街」で娼館が多く立ち並ぶ。 王の住まう城の名前はシャンデルフィール城。薔薇を国花とし、貴色は赤で象徴は鷲。 コンフィールド公国 森林が多く、おとぎの国とも呼ばれる国。アルテマリスの南、シアランとの間に位置する。アルテマリスと縁戚関係にある国で、前国主はアルテマリス現国王の弟であった。そのため現在の国主・シルフレイアはアルテマリスより公爵の地位も授かっている。貴色は緑。 シアラン公国 神殿があるなど、信心深い一面をもつ国。公都はサフィーニア。これは青い宝石の妖精の名に由来する。湖を囲むように宮殿がある。前大公の正妃はアルテマリス現国王の姉で、アルテマリスと姻戚関係にあったが、大公の死後に起きた跡目争いの騒乱で、その子らのほとんどは消息不明となる。 神殿の神官たちは何らかの異能を持つが、それを殺人等に利用しない誓いを立てている。ランスロット・アスリム時代の確執により、アルテマリスを蔑視する者達が存在する。女性が髪の毛を短くすることは禁忌とされている。パンなどの食文化の技術は大陸一。また、前大公妃が生前に陶芸を趣味としていたことで、陶器も有名になった。国花は百合。貴色は青で象徴は獅子。 サヴィアー シャロンの故郷である、北部にある小国。守り神をかたどった人形を殴ると、自身についた悪運や災いを引き受けてくれるという信仰がある。この国の女性、サヴィアーナの美しさは「雪の妖精」と称賛され他国にも知れ渡るほどに有名。 ダラステア帝国 南大陸の軍事力豊かな国。前王の統治下ではシアランと軍事同盟を結んでおり、西大陸の諸国からシアランと並んで恐れられていた。現在はアルテマリス寄りに政策を変えたが、未だに地下ではシアランと強い繋がりがあり、武器の密輸を行っている。 シュヴァイツ公国 シアランと同様、8年前の政変で大公一家を殺された国。アルテマリスとは前大公家が姻戚関係にあった。現在は前大公家の遠縁にあたる家が大公家となっているが、現大公は身体が弱く、公女ユーディアと公子ラスリッドはそれぞれに問題があるため、未だに王太子が決まっていない。現大公はシアランのように前大公家の嫡子の誰かが生き残っていてくれればと願っている。国花は水仙。象徴はユニコーン。
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国名
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フランス語による正式名称はコーチシナ自治共和国(フランス語: République autonome de Cochinchine)で、ベトナム語による正式名称はナムキ自治共和国(ベトナム語:Cộng hòa Tự trị Nam Kỳ / 共和自治南圻)。 略称はナムキ共和国(ベトナム語:Cộng hòa Nam Kỳ; Nam Kỳ Cộng hòa quốc / 共和南圻; 南圻共和國)、またはナムキ国(ベトナム語:Nam Kỳ quốc / 南圻國)。日本ではフランス植民地時代のベトナムの地名をフランス式に呼称するため、日本語での略称はコーチシナ共和国が一般的に用いられる。 なお、政府名称は暫定政府の時期を含めて2回変わっている。 ナムキ臨時政府(ベトナム語:Chính phủ lâm thời ở Nam Kỳ / 政府臨時南圻):1946年3月26日 - 1946年5月31日 自治ナムキ共和政府(ベトナム語:Chính phủ Cộng hòa Nam Kỳ tự trị / 政府共和南圻自治):1946年6月1日 - 1947年10月7日 ベトナム南分共和政府(ベトナム語:Chính phủ Cộng hòa Nam Phần Việt Nam / 政府共和南份越南):1947年10月8日 - 1948年5月27日
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国名
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「メキシコ (曖昧さ回避)」の記事における「国名」の解説
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国名
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古事記に見る神代の呼称は「飯依比古」と云い、伊予之二名島の顔の一つとされた。国名の表記として、「讃岐」のほか「讃伎」「賛支」とも表記されたことが木簡から分かっている。 高松藩の藩儒、中山城山によってまとめられた地誌である『全讃史』(1828年(文政11年)に成立)には「四国内の他の国よりも緯が狭いために『狭緯(さぬき)』と称した」とされ、この名称と文字が時を経るに転じて『讃岐』となったと記されている。 現在でも香川県の地域区分として「東讃」「中讃」「西讃」という名称が使用されている。
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国名
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古蜀 - 紀元前316年、秦の将軍・司馬錯に滅ぼされた国。 蜀漢(季漢) - 三国時代に劉備が建てた国(221年 - 263年)。単に「蜀」と言った場合、蜀漢を指すことが多い。 成漢(後蜀) - 五胡十六国時代に李雄が建てた国(304年 - 347年)。 張蜀 - 五胡十六国時代に張育が建てた国(374年)。十六国に数えられない。 後蜀 (五胡十六国)(譙蜀) - 五胡十六国時代に譙縦が建てた国(405年 - 413年)。十六国に数えられない。 程蜀 - 南北朝時代に程道養が建てた国(432年 - 437年)。 前蜀 - 五代十国時代に王建が建てた国(907年 - 925年)。 後蜀 (十国) - 五代十国時代に孟知祥が建てた国(934年 - 965年)。 李蜀 - 北宋時代に李順が建てた国(994年)。 大蜀(王蜀) - 北宋時代に王均が建てた国(1000年)。 呉蜀 - 南宋時代に呉曦(中国語版)が建てた国(1207年)。
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国名
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詳細は「ミャンマー#国名」を参照 軍事政権は発足直後に国名をビルマ連邦社会主義共和国からビルマ連邦(英語:Union of Burma)へ変更し、1989年6月18日には対外的な国名をミャンマー連邦(英語:Union of Myanmar)へ再度改称した。だが、軍事政権を否定的に見る国々では引き続き「ビルマ」の名称が使用され、国ごとにミャンマーの国名表記が別れる事態となった。 なお、国内におけるビルマ語の国名は軍事政権が終了するまで変更されることが無かった。
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国名
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「アフガニスタン・イスラム共和国」の記事における「国名」の解説
公式の英語表記は、Islamic Republic of Afghanistan。通称Afghanistan。日本語の表記は、アフガニスタン・イスラム共和国。通称アフガニスタン。漢字表記は阿富汗斯坦または亜富汗斯坦。
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国名
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国名はトルコ語で山を意味する"dağ"にペルシャ語の地名の接尾辞である"-stān"(スターン)が付いて「山が多い場所」を意味する。山岳地帯が人々の自由な行き来を妨げたため、非常に多様な民族が混在し今でも部族的な生活を送っている。それぞれの正式名称は以下の通り。 ロシア語: Респу́блика Дагеста́н (Respublika Dagestan) アヴァル語: Дагъистаналъул Жумгьурият (Daġistanałul Jumhuriyat) ダルギン語: Дагъистан Республика (Daġistanes Respublika) クムク語: Дагъыстан Жумгьурият (Dağıstan Cumhuriyat) レズギ語: Республика Дагъустан (Respublika Daġustan) ラク語: Дагъусттаннал Республика (Daġusttannal Respublika) タバサラン語: Дагъустан Республика (Daġustan Respublika) ルトゥル語: Республика Дагъустан (Respublika Daġustan) アグール語: Республика Дагъустан (Respublika Daġustan) ノガイ語: Дагыстан Республикасы (Dağıstan Respublikası) チェチェン語: Дегӏестан Республика (Deġestan Respublika) アゼルバイジャン語: Дағыстан Республикасы/Dağıstan Respublikası/داغیستان رئسپوبلیکاسی タート語: Республикей Догъисту (Respublikei Doġistu)
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 20:47 UTC 版)
中国の国名五代十国の南唐が、後周に敗北して服属した後に称した国号。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 04:35 UTC 版)
ユーゴスラビアはスロベニア語、およびセルビア・クロアチア語のラテン文字表記でJugoslavija、キリル文字表記でЈУГОСЛАВИЈА(スロベニア語: [juɡɔˈslàːʋija]、セルビア・クロアチア語: [juɡǒslaːʋija, juɡoslâʋija])。 日本語での表記はユーゴスラビアもしくはユーゴスラヴィアである。しばしばユーゴと略される。過去にはユーゴースラヴィアという表記が使われていた。 ユーゴスラビアは「南スラヴ人の土地」を意味し、南スラヴ人の独立と統一を求めるユーゴスラヴ運動に由来している。国家の名称としては、1918年のセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の成立の頃より通称として用いられていたが、アレクサンダル1世統治時代の1929年に、これを正式な国名としてユーゴスラビア王国と改称された。
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国名
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「サハラ・アラブ民主共和国」の記事における「国名」の解説
正式名称はアラビア語で、الجمهورية العربية الصحراوية الديمقراطية الوهمية(ラテン文字転写 : Al-Jumhūrīyya al-`Arabīyya aṣ-Ṣaḥrāwīyya ad-Dīmuqrāṭīyya)、スペイン語はRepública Árabe Saharaui Democráticaで、RASDと略す。英語では英語: Sahrawi Arab Democratic Republicとなり、SADRと略す。 日本語ではサハラ・アラブ民主共和国と訳される。英語名を音訳したサハラウィ・アラブ民主共和国ともいう。日本は国家承認をしていないため公式の略称は存在せず、西サハラが通称として用いられている。2019年に開催された第7回アフリカ開発会議(TICAD7)に参加した代表団にはSahrawi Republic(訳例はサハラ共和国、サハラウィ共和国)という国名プレートが置かれた。 サハラ・アラブ民主共和国を承認していない国家では西サハラ(アラビア語: الصحراء الغربية ラテン文字転写:Aṣ-Ṣaḥrā’ al-Gharbīyah、スペイン語: Sahara Occidental、英語: Western Sahara、フランス語: Sahara Occidental)が地域名として使用されている。またサハラ・アラブ民主共和国政府や指導部を指す際は「ポリサリオ戦線」、領土は「ポリサリオ戦線支配地域」や「砂の壁以東」と説明されることがある。
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国名
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中国の王朝名 (きん、Jīn)金 (王朝) - 12〜13世紀、中国北部にあった女真族の国の名前。 後金 - 17世紀にヌルハチが興した女真族の王朝。後金王朝。後の清。
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「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の記事における「国名」の解説
クロアチア語とボスニア語でFederacija Bosne i Hercegovine、セルビア語でФедерација Босне и Херцеговине。 また、英語ではThe Federation of Bosnia and Herzegovina。
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国名
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正式名称はアラビア語で、アル・マムラカ・アル・ムタワッキリーヤ・アル・ヤマニーヤ(المملكة المتوكلية اليمنية、al-Mamlakah al-Mutawakkilīyah al-Yamanīyah)。 英語表記は、Mutawakkilite Kingdom of Yemen、或いはMutawakelite Kingdom of Yemen。通称、Kingdom of Yemen。 日本語の表記は、イエメン・ムタワッキリテ王国。通称、イエメン王国。 1947年9月30日に国際連合に加盟した際、イエメン王国はイエメン(Yemen)を代表する国家として加入した。これは、当時イエメン王国がイエメンを名乗る唯一の国家として存在していた為である。ただし、王国崩壊後に成立したイエメン・アラブ共和国は、南イエメンがイエメンを名乗る別個の国家として独立したことで、相対的に北イエメンと通称されるようになった。その影響から、今日ではイエメン王国を、イエメン・アラブ共和国から歴史的に遡及して、北イエメンと称することもある。
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国名
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ルーシ:中世時代におけるキエフ大公国の正式な国号。キエフ・ルーシとも。 ルーシ:キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中心とするリューリク朝の三国。広義でハールィチ・ヴォルィーニ大公国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国などの東欧の諸国を含むことがある。 ルーシ・カガン国:8世紀後半から9世紀の半ばにかけて、現在のロシア北西部にあったとされる国家または都市国家群(仮説)。 ロシア帝国・ロシア連邦の通称。
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国名
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百済の国名の由来はわかっていない。『三国史記』「百済本紀」に記載される神話では初代王である温祚王が夫余の地から遷って建国した際、10人の家臣の助力を得たことから国号を十済とし、その後温祚王の兄の沸流に従っていた人々が温祚王の国に合流した際に、百姓が楽しみ従ったことから国号を百済と改めたという。朝鮮史研究者の井上秀雄は、『三国史記』の訳注にて、これを事実とは認めがたいとしている。詳細は「建国神話節」を参照。また、『隋書』「百済伝」は、移動の際に百家で海を済ったので、それに因んで百済という国名となったと伝えている。 日本語における慣用呼称「クダラ」の起源については長く議論があり、古くは鮎貝房之進や白鳥庫吉が文献史学や発音等の観点から推論を行っているが、今も正確なところは不明である。
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国名
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「中華民国 (1912年-1949年)」の記事における「国名」の解説
正式名称は「中華民国」だが、その存在を通じてさまざまな名前で知られている。1912年に中華民国が建国された直後、政府は「中国」という短縮形を使用して、周の下でその王室のデメスネに関連して発展した用語そしてその名前はその後洛陽(現在の洛陽)周辺の地域に適用された周東部、そして中国の中央平原に行き、清時代の国家の時折の同義語として使用された。 「中華民国」と「共和国時代」は、「北京政府」(1912年から1928年)と「国民政府」(1928年から1949年)を指す。
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国名
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コルドバ・ウマイヤ朝 - 後ウマイヤ朝の別名。 コルドバ王国 - 後ウマイヤ朝の分裂後に出来た小国家(タイファ)の一つ。
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国名
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キャンディ王国は長い年月の間に様々な呼称で呼ばれており、以下のような多くの名前が知られている。 Kanda Uda Pasrata Senkadagala Kingdom Kanda Udarata - 山の上の国の意味 Mahanuwara Kingdom Wardhanapura Sinhalé Thun Sinhalaya or Tri Sinhala
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国名
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「セルビア・モンテネグロ」の記事における「国名」の解説
正式名称はセルビア語で、Србија и Црна Гора(Srbija i Crna Gora; スルビヤ・イ・ツルナ・ゴーラ)。スルビヤがセルビア、ツルナ・ゴーラがモンテネグロのセルビア語名で「黒い山」を意味している(モンテネグロはイタリア語ヴェネツィア方言(ヴェネト語))。イはセルビア語で英語の and にあたる接続詞。 また、 Државна Заједница Србија и Црна Гора / Državna Zajednica Srbija i Crna Goraと呼ぶこともある。 公式の英語表記は、Serbia and Montenegro。日本語の表記は、セルビア・モンテネグロ。誤ってセルビア・モンテネグロ連邦と呼ばれることもある(連邦制ではあるが名称に「連邦」とはつかない)。
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国名
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バルト海沿岸の地域をドイツ語でプロイセン(Preußen)と呼んだことから、これが国名になった。プロイセンの地名は、バルト海沿岸の先住民族で自らをプルーサと名乗っていたプルーセン人に由来する。プロイセンは英語ではPrussia、フランス語ではPrusse、プロシア語ではPruqsasとなる。 日本語での表記は、ドイツ語に由来する「プロイセン」のほか、英語に由来する「プロシア」や「プロシャ」がある。漢字による表記では、普魯西と表記され、「普」と略される。なお、明治時代には孛漏生の字も当てられた。「孛」と略されて、江藤新平が漢詩にこの字を用いている。
※この「国名」の解説は、「プロイセン王国」の解説の一部です。
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国名
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正式名称は、Республика Северная Осетия - Алания (ラテン文字転写: Respublika Severnaja Osetija - Alanija, レスプブリカ・セヴェルナヤ・オセチヤ・アラニヤ)といい、北オセチア・アラニヤ共和国と日本語訳される。1996年1月9日に、北オセチア共和国から改称した。 アラニヤは、オセット人の先祖とされる「アラン人」の名に由来するオセチアの雅称である。 日本では北オセチア共和国と表記されるのが一般的である。まれに北オセット共和国という表記も見かける。
※この「国名」の解説は、「北オセチア共和国」の解説の一部です。
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国名
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「衛氏朝鮮」という名は後世、箕子朝鮮や李氏朝鮮と区別するための便宜上の名である。『史記』は単に「朝鮮」とよぶが、この名も当時すでに国名が不明になっていたので司馬遷が地名を借りて表現したまでで、彼らが自称した国名ではない。
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国名
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国号の大韓は、三韓統一を達する名称として出た。 原文 奉天承運皇帝詔曰:「朕惟檀、箕以來、疆土分張、各據一隅、互相爭雄、及高麗時、呑竝馬韓、辰韓、弁韓、是謂統合三韓。及我太祖龍興之初、輿圖以外、拓地益廣。(以下省略)」 現代語による大意 奉天承運皇帝(高宗)は次のように詔を下された。「朕が思うに、檀君、箕子以来、(朝鮮は)領土が分離され各々(の勢力)が各地を占めては互いに覇権を争ってきたが、高麗の時代に馬韓、辰韓、弁韓のいわゆる三韓を統合した。そして我の太祖(李成桂)が王位に就いた初期のうちに(従来の)国土以外にも領土を広げた。(以下省略)」 — 高宗実録36巻、高宗34年10月13日(陽暦)2番目の記事より。全文は、国史編纂委員会が公式ホームページを設けて公開している。 高宗実録によると、清からの冊封体制離脱に当たり、朝鮮王宮では明から下賜された国号「朝鮮」を変更する提案が家臣から高宗になされた。その際、高宗は朝鮮を「三韓の地」と認識しており、かつ「韓」を含む名称が歴代の統一朝鮮王朝の国号として使われていなかった。そのため、国号としての格が従来より上がる漢字一文字の「韓」に、修飾語の「大」を加えた「大韓」が新しい国号に定められたという。 原文 上曰:「我邦乃三韓之地、而國初受命、統合爲一。今定有天下之號曰『大韓』、未爲不可。(以下省略)」 舜澤曰:「自三代以來、有天下之號、未有承襲于前者矣。而朝鮮乃箕子舊封之號也、堂堂帝國、不宜因仍其號矣。且大韓之號、稽之帝統之國、無襲舊者矣。聖旨切當、無敢贊辭矣。」 現代語による大意 お上(高宗)が言うには「我が国は三韓の地であるが、国の初め(李成桂の李朝樹立時)に天命を受けて一つの国に統合された。今、国号を『大韓』に定めては為らぬことは無い。...」 舜澤(沈舜澤(朝鮮語版))が言うには「三代以来、国号は以前のものを踏襲した例がありません。ところで、朝鮮は箕子がかつて(周の武王から)封じられた時の称号であるので、堂々とした皇帝の国として、その称号(朝鮮)をそのまま使うのは正しくありません。『大韓』の称号は、皇帝の系統を継いでいる国で考えますと、古き者から踏襲したものではありません。聖上(高宗)の仰られることは極めて当然のことで、あえて付け加えるような言葉はございません。」 — 高宗実録36巻、高宗34年10月11日(陽暦)3番目の記事より。 また、国名を「帝国」としたのは、冊封からの離脱に際し、国王の称号を「皇帝」へと変更したからである。小島毅は、「清という皇帝がいる国の庇護下にある王国だったのが、日本が後押しして、清から自立した帝国になり、大韓帝国を正式な国号とします」と評している。
※この「国名」の解説は、「大韓帝国」の解説の一部です。
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国名
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「台湾の名称の一覧」も参照 中国語(北京語、正体字表記)での正式名称は、中華民國(拼音: Zhōnghuá Mínguó、ウェード式:Chung-hua Min-kuo、注音符号:ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄨㄛˊ)であり、国内では中華民國のことを中華と表記することもある。公式の英語表記は、英語: Republic of China(リパブリック・オブ・チャイナ)で、略称は R.O.C. である。 「中華」は、世界の中心にある、最も華やかな文明という意味であり、元々は黄河文明発祥の地とされる河南省のあたりを指した。ちなみに中華の華はもともと世界の中心の夏(古代の王朝)という意味の中夏だった。
※この「国名」の解説は、「中華民国」の解説の一部です。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 14:18 UTC 版)
正式名称は公用語のドイツ語で Fürstentum Liechtenstein(ドイツ語発音: [ˈfʏʁʃtn̩tuːm ˈlɪçtn̩ʃtaɪn] フュルシュテントゥーム・リヒテンシュタイン)、Liechtenstein と表記する。公式の英語表記は Principality of Liechtenstein(プリンシパリティ・オヴ・リクテンスタイン)、略称、Liechtenstein。日本政府(外務省)による日本語表記はリヒテンシュタイン公国(略称:リヒテンシュタイン(リヒテンスタイン))。後述のように「リヒテンシュタイン侯国」を正しい訳語とする説もある。リヒテンシュタイン公国がある現地のアレマン語(リヒテンシュタイン方言)では、Förschtatum Liachtaschta(フェアシュタツーム・リアハタシュタ)と表記される。英語表記で国名・形容詞とも Liechtenstein、国民は Liechtensteiner。 元首であるリヒテンシュタイン家の当主の称号はドイツ語で"Fürst"であり、"Herzog"(公爵。英語の"duke")より一段下の爵位であるため、「公爵」ではなく「侯爵」と訳すべきとの主張もある。 なお、英語においては「prince(プリンス)」とされ、国家体制は「Principality」と訳される。「Principality」は日本語において通例「公国」と訳される。英語における「プリンス」は広義的には多義的であり、公爵位のみを指すものではなく王侯貴族である領主を全般的に指す言葉である。リヒテンシュタイン家の当主の親族(男子)の称号は"Prinz"であり、「プリンス」と同義であるが、これは日本語においては「公子」と訳されるのが通例である。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 08:32 UTC 版)
ウィキソースに国号ヲ満洲国トナスヲ佈告ノ件の原文があります。 ウィキソースに本国国名英文制定ノ件の原文があります。 1932年(大同元年)3月1日の満洲国佈告1により、国号は「滿洲國」と定められている。この国号は、1934年(康徳元年)3月1日に溥儀が皇帝に即位しても変更されなかった。ただし、法令や公文書では「満洲国」と「満洲帝国」が併用された。帝制実施後の英称は正称が「Manchoutikuo」または「The Empire of Manchou」、略称が「Manchoukuo」または「The Manchou Empire」と定められた。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:17 UTC 版)
憲法上の正式名称は、Република Северна Македонија (マケドニア語。ラテン文字転写は、Republika Severna Makedonija。通称は、Северна Македонија(Severna Makedonija)。準公用語のアルバニア語での表記はRepublika e Maqedonisë së Veriut、通称Maqedonia e Veriutである。 公式の英語表記名は、Republic of North Macedonia。略称、North Macedonia。 日本語での表記は、北マケドニアもしくは北マケドニア共和国。2019年2月まではマケドニア、もしくはマケドニア共和国であったが、前者では地域としてのマケドニアと区別がつかない。また日本は国連と同様にマケドニア旧ユーゴスラビア共和国で国家承認を行っており、行政公文書等における日本語の表記は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」となっていたが、2020年4月1日に「北マケドニア」に変更された。かつて、日本国外務省では単に「マケドニア」あるいは「マケドニア共和国」と簡略化して表記する部分も部分的に見られた。この他に日本語でのリリースを発表する機関として欧州連合(在日欧州委員会代表部)があるが、欧州連合(EU)の加盟国であるギリシャがマケドニア共和国の正式呼称を認めていないため、通常「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」で言及された。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:14 UTC 版)
「レソト」とは、「ソト語を話す人々」という意味である。イギリス保護領時代はバストランド保護領と呼ばれていたが、独立と同時にレソトへと改称した。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 09:48 UTC 版)
正式名称は、Республика Ингушетия (ラテン文字転写: Respublika Ingushetiya , レスプブリカ イングシェチア)。日本語訳は、イングシェチア共和国。1996年1月9日に改称。 日本では、イングーシ共和国と表記するのが一般的である。 漢字表記は「印古什」。
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国名
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正式名称はベトナム語で "Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam" ( 聞く)。略称は "Việt Nam" (ベトナム語発音: [viət˨ næm˧] ( 音声ファイル))である。ベトナム語の漢字(チュハン)では「共和社會主義越南」「越南」となる。 1802年に現代とほぼ変わらない領土で統一した人物は、阮朝の創始者の阮福暎(嘉隆帝)である。1804年には清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられ、「越南」を正式の国号とした、阮朝は最初清に「南越」の号を求めたが、嘉慶帝は「越南」という国号を与えた。「南越」という国号に阮朝の領土的野心を警戒したという見方もある。 ロシア語で「Вьетнам」と書き、ラテン文字表記法の学術表記で「V'etnam」になり、日本語表記は「ベトナム」となる。しかし「i」があるベトナム語による「Việt」の正しい発音は「ベト」ではなく「ヴィエッ」であることから、一部文献等では「ヴィエトナム」「ヴィエットナム」等の表記もみられる。漢字文化圏の国家なので漢字で「越南」(えつなん)の表記もあり、越(えつ)と略す。「越南」の表記を用いながら「ベトナム」と呼ぶこともある。現在の日本国の外務省ではカタカナで「ベトナム」「ベトナム社会主義共和国」の表記を用いるが、かつてはベトナム語の発音に近い「ヴィェトナム社会主義共和国」の表記となっていた。 公式の英語表記は "Socialist Republic of Vietnam" 、略称は "Vietnam"、または "SRV"。1976年6月24日、ベトナム戦争後初の南北統一国会(第6期国会第1回会議)が招集され、7月2日の国会決議により現在の国名が決定された。2013年の憲法改正時に、「ベトナム社会主義共和国」の国名を、1945年のベトナム八月革命によって独立した時の国名「ベトナム民主共和国」に改める動きが報じられた が、改正案から国名変更部分は除外され、変更はされなかった。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 16:17 UTC 版)
当初国名は、1918年の第一共和国建国当初、ハイフンのない「チェコスロバキア」(Československo)と、ハイフンの入った「チェコ=スロバキア」(Česko-Slovensko)の両方の表記が混在して使われ、1920年の憲法制定時にハイフンのない"Československo"に統一された(国名「チェコスロバキア共和国」:Československá republika)。 スロバキアの自治を認めたミュンヘン協定(1938年)からナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体(1939年)までの第二共和国では、ハイフンの入った「Česko-Slovensko」が正式表記となった(国名「チェコ=スロバキア共和国」:Česko-Slovenská republika)。 しかし第二次世界大戦後の1945年にチェコスロバキア共和国が復活すると、再びハイフンなしの"Československo"に改められ、1960年の社会主義共和国への改称(チェコスロバキア社会主義共和国:Československá socialistická republika)や1969年の連邦制移行(国名変更なし)後も長く用いられた。 ビロード革命後の1990年に連邦議会で繰り広げられた政治論争「ハイフン戦争」の結果、国名は「チェコ及びスロバキア連邦共和国」(チェコ語: Česká a Slovenská Federativní Republika、スロバキア語: Česká a Slovenská Federatívna Republika)に改められ1993年1月1日の解体まで使用された。 地域名称としての「チェコスロバキア」については、チェコ語では従来どおり"Československo"が用いられているが、スロバキア語ではスロバキア科学アカデミーが1990年に提唱した新しい正書法に基づき"Česko-Slovensko"が用いられている。
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国名
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正式名称はラーオ語でສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ,(ラテン文字転写: Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao 発音 [sǎː.tʰáː.laʔ.naʔ.lat páʔ.sáː.tʰiʔ.páʔ.tàj páʔ.sáː.són.láːw] 読み: サーターラナラット・パサーティパタイ・パサーソン・ラーオ)。サーターラナラットが「共和国」、パサーティパタイが「民主主義」、パサーソンが「人民」、ラーオが「ラーオ族」を意味する。 公式の英語表記は Lao People's Democratic Republic(ラウ・ピープルズ・デモクラティック・リパブリック)。ビザなどでは「Lao P.D.R」と略される。通称は Laos(ラウス、または、ラオス)。 日本語表記はラオス人民民主共和国。通称はラオス。日本での漢字表記は羅宇、老檛。一方、中国国内では「老撾(簡体字: 老挝, 拼音: Lǎowō)」と表記し「老」と省略するが、台湾、香港、マレーシア、シンガポールでは「寮國(簡体字: 寮国, 拼音: Liáoguó)」と称し、「寮」と省略する。ラオス華人の間では「寮」が広く使われており、ヴィエンチャン市内には中国語学校の名門「寮都学校」がある。また、日寮や寮華などの略称を冠する団体・企業は、ラオス国内外を問わず多数存在する。
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「ソマリランド (曖昧さ回避)」の記事における「国名」の解説
ソマリランド国(英語版) - イギリス領ソマリランドが1960年6月26日に独立して成立した国家。同年7月1日にイタリア信託統治領ソマリアと合併しソマリア共和国となる。 ソマリランド共和国 - 1991年にソマリアから事実上独立した国家。国際的な承認は得られていない。ソマリランド国が再独立したものと自称している。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:49 UTC 版)
現在の公式国名は中華人民共和国 (簡体字中国語: 中华人民共和国; 拼音: Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó) 発音[ヘルプ/ファイル]である。一般には中国 (簡体字中国語: 中国; 拼音: Zhōngguó) 、あるいは中華 (簡体字中国語: 中华; 拼音: Zhōnghuá) と呼称される。 「中国」という言葉は、紀元前6世紀の書経・詩経で既に記述されており、中華帝国以前の時代には華夏族を四夷と区別するため、文化的概念として頻繁に用いられた。その後、中華帝国の変遷と共に様々な古文書で用いられる「中国」の意味も変化して行ったが、近代的な主権国家全体の名称として用いられるようになったは19世紀半ばからである(詳細は「中国」の項目参照のこと)。 中国と同義で用いられる支那は、帝国主義のイメージと結びついて中華人民共和国では侮蔑的な呼称と認識されているが、その原型が古くから印欧語族の諸国で用いられてきたために派生形が多く残っている。たとえば英名の"China"は、サンスクリット語のCīna (चीन) を由来とするペルシア語のChīn (چین)が由来と考えられる。"China"という言葉は、ポルトガルの探検家Duarte Barbosaの日誌において1516年に初めて記録された。1555年、同日誌はイングランドにおいて翻訳及び出版された。17世紀にマルティノ・マルティニにより提唱された伝統的理論では、Cīnaは周において中国最西の国である"Qin" (秦) が由来である。また、Cīnaはマハーバーラタ (紀元前5世紀) 及びマヌ法典 (紀元前2世紀) を含む初期のヒンドゥー教の聖典において用いられていた。 「中国」の国名を巡っては、中華人民共和国の前に中国大陸を統治した中華民国との間で軋轢がある。1971年10月のアルバニア決議以降、中華人民共和国が「中国」の議席および関連する地位を獲得し、「中国」は徐々に国際社会において中華人民共和国を指すようになった 。この他、「日中関係」「駐華大使」のように「中」も「華」も中華人民共和国の略称として用いられている現状がある。台湾海峡を挟んで「二つの中国」が分断する現況から、中華人民共和国は台湾地区に対応する場合は「中国大陸」 と呼ばれることがある。中華人民共和国政府は台湾地区からは「大陸当局」「北京当局」、「北京」または「中共」 とも呼ばれる。中華民国憲法では「大陸地区」とされる。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 02:13 UTC 版)
正式名称は、モンゴル語(キリル文字)表記で Монгол Улс(モンゴル・オルス)、ラテン文字転写は Mongol Uls。 日本語の表記はモンゴル国。通称モンゴル。英語ではモンゴリアと呼ばれる。 モンゴル語名「モンゴル・オルス(Монгол Улс)」の「モンゴル」は民族名で、「オルス/ウルス(Улс)」は「国」を意味する。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:27 UTC 版)
イエメンのアラビア語国名「アル・ヤマン」は「右」を意味する「ヤマン」に定冠詞を冠するものである。メッカのカアバに向かって立つと、顔は東を向き、右手に砂漠とこの地方が広がる。したがってメッカ以南の地は、すべて「右側」と呼ばれた。やがて時代を経て、アル・ヤマンはイエメンだけ指すようになった。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:19 UTC 版)
金毓黻(中国語版)は、「渤海」は「靺鞨」の近変音であると指摘している。また、武則天が乞乞仲象を「震国公」に、乞四比羽を「許国公」に冊封した称号とを合わせて考えるべきという指摘があり、音韻学的には「許」「震」が「靺鞨」の別称である「粛慎」の諧音(中国語版)、すなわち、許震=粛慎の同音異義語である可能性が指摘されている。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:11 UTC 版)
正式名称はスペイン語でRepública de Cuba。通称Cuba(クーバ)。 公式の英語表記はRepublic of Cuba。通称Cuba(キューバ)。 日本語の表記は、キューバ共和国。通称、キューバ。スペイン語の原音に近い「クーバ」と呼ぶ人もいる。漢字による当て字は、玖馬、玖瑪、久場、古巴など。中華人民共和国においては「古巴(Gǔbā)」と表記している。 国名は、カリブ海最大の島であるキューバ島からきており、「中心地」という意味のインディオ(タイノ族)の言葉であるクバナカン が由来であるとされている。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 08:18 UTC 版)
正式な国号はスロベニア語で Republika Slovenija (レプブリカ・スロヴェニヤ)。通称は Slovenija 。公式の英語表記は Republic of Slovenia 。通称 Slovenia 。スロベニア共和国政府による日本語の公式表記は「スロヴェニア共和国」。ただし日本の外務省による日本語の公式表記は、「スロベニア共和国」。通称「スロベニア」。古くは斯洛文尼亜という漢字表記が用いられた事もあった。 語源については諸説ある。一つに、スロバキアと同じく「スラブ」(Slav)と同源であるとする説があり、両国名の類似の原因をこれに求める意見がある。「スラブ」は古スラブ語で「栄光」や「名声」を意味する sláva に由来している。一方、「言葉」や「会話」を意味する slovo に由来するとの説もある。9世紀頃のスラブ民族は、自らを「スロヴェーネ」(slověne:同じ言葉を話す=意思疎通が出来る人々)と呼んでいたとされる。現代英語でスロベニア人に対する総称(デモニム)は Slovenian と Slovene であるが、後者は上述の slověne に由来する。
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国名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 06:15 UTC 版)
「スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国」の記事における「国名」の解説
国名はセルビア語ではДржава Словенаца, Хрвата и Срба / Država Slovenaca, Hrvata i Srba、クロアチア語ではDržava Slovenaca, Hrvata i Srba(国際音声記号は[dr̩ˈʒaʋa sloˈʋenaʦa xr̩ˈʋataɪ ˈsr̩ba])、スロベニア語ではDržava Slovencev, Hrvatov in Srbovである。 国名にあるセルビア人はボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア=スラヴォニア(スレムを含む)、ダルマチア(コトル湾とバル付近のモンテネグロ海岸までを含む)の住民を指し、セルビア王国(今日のマケドニア共和国領を含む)、モンテネグロ王国、バナト・バチュカおよびバラニャ(英語版)(歴史的ヴォイヴォディナのうちバナト、バチュカ、バラニャ(英語版)を含む。スレムはスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の一部となった)の住民は指さなかった。
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「国名」の例文・使い方・用例・文例
- 現代米国名士録.
- イギリスのほんとうの国名はなんですか.
- 国名を朝鮮と改称す
- 安芸という中国地方の旧国名
- 平安時代,女官や僧侶の呼び名として国名をつけたもの
- 関東地方にあった旧国名の一つ
- 信濃という,中部地方にあった旧国名
- 常陸という関東地方にあった旧国名
- 飛騨という中部地方にあった旧国名
- 九州地方にあった豊前という旧国名の一つ
- 武蔵という関東地方にあった旧国名の一つ
- 東北地方にあった旧国名
- 大和という近畿地方にあった旧国名
- 沖縄地方の旧国名
- 国名のはじめに美称として冠する語
- 伊豆という中部地方の旧国名
- 岩代という東北地方の旧国名
- 岩見という中国地方の旧国名
- エベレスト山(中国名 チョモランマ/ネパール名 サガルマタ・8848メートル)の頂上から下山中の日本人女性が死亡した。
国名と同じ種類の言葉
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