藤原長子
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藤原 長子(ふじわら の ちょうし、承暦3年(1079年)頃 - 没年不詳)は、平安時代後期の女官である。『讃岐典侍日記』の作者。父は讃岐入道藤原顕綱。兄に家通、姉に藤三位(とうさんみ)と呼ばれた堀河天皇乳母の兼子。女房名は讃岐典侍(さぬきの(ないしの)すけ)。
注釈
- ^ 堀河天皇と概ね同世代とし、長子22歳頃と仮定する研究者もいる(森田(参考文献))。
- ^ 「今朝供御薬 陪膳新典侍藤原長子 顕綱女也 夜前任典侍」(『中右記』 康和四年正月一日条)
- ^ 堀河天皇の後宮に有力な寵妃が乏しく(中宮篤子内親王は19歳年上の叔母であり、唯一の女御藤原苡子は皇子出産後すぐに没している)典侍達がその立場にあったと想像される(大内(参考文献))。
- ^ 白河院と中宮璋子の秘事の告発とも推測されている(保立道久 『平安王朝』 191 1996年11月20日 岩波書店 ISBN 4-00-430469-5)。
- ^ 「伊予守語云 候内裏故讃岐前司顕綱姫 字讃岐前典侍 此間称先朝御霊 堀川院 奏種々雑事 己及大事 仍召彼兄和泉前司道経 邪気間暫不可令参内之由 被召仰云々 是上皇御気色也」(源師時 『長秋記』元永二年八月廿三日条)
- ^ 大友洋子 「讃岐典侍日記作者考証--藤原長子俊成卿母のことについて」 『女子大国文』 (10) 1958年10月 京都女子大学国文学会
出典
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