熊野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:22 UTC 版)
『日本書紀』神代紀(上)によると火の神カグツチを産んだときにイザナミは命を落とし紀伊国熊野の有馬村に葬られたという(現在の花窟神社に葬られているとされる)。 また、『古事記』神武東征の段及び『日本書紀』磐余彦の東征の段によると神日本磐余彦は兄とともに東方遠征に出て熊野の神邑に上陸した(神武東征)。熊野で怪しい熊の妖気に当たり気を失ってしまうが、天照大神から剣を得て目覚め、八咫烏の道案内で宇陀に入り橿原宮で天皇(神武天皇)として即位したという。この熊野の神邑を新宮市とみる説がある(ただし異説あり)。 上古には熊野国があり、成務期までには熊野国造が置かれるようになったが、大化の改新後の孝徳期 (645年〜654年)、紀伊国に牟婁郡として併合された。併合前の熊野の範囲は、西は田辺市田辺地域を含まず、東は現在と同じだったが、併合時に、田辺にあった牟婁郷と合わせて牟婁郡とし、その一方でのちの北牟婁郡は志摩国英虞郡に移された。
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