熊野川総合開発計画とは? わかりやすく解説

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熊野川総合開発計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:13 UTC 版)

池原ダム」の記事における「熊野川総合開発計画」の解説

熊野川紀伊半島では紀の川に並ぶ大河川である。その流域面積大半紀伊山地内であり、か大台ヶ原始めとして年間降水量平均で3,000ミリメートル、多いときには5,000ミリメートルにも達す日本屈指の多雨地帯である。これに加え瀞峡など険阻な峡谷形成されている。こうしたことから水量極めて多い急流河川であり、水力発電には最適な河川であった。だが険しい山と谷によって交通の便極めて悪く開発の手がなかなか伸びない河川でもあった。 熊野川水系における河川開発計画は、1937年昭和12年)に当時河川行政管轄していた内務省全国64河川対象河水統制事業調査河川一つ選ばれことより始まる。東京帝国大学教授内務省土木試験所であった物部長穂提唱した治水利水統合した水系一貫河川開発」、すなわち河川総合開発事業国策として推進されことによるのである熊野川内務省大阪土出張所調査を行う河川として予備調査開始されたが、その後太平洋戦争によって調査進捗しなかった。 戦後壊滅陥った日本経済回復と、治水事業放置による水害頻発頭を悩ませていた経済安定本部中断していた河川総合開発事業再開図り1947年昭和22年)に24河川対象とした調査が行われた。この際熊野川建設省農林省共同調査開始した農林省については熊野川本流上流部紀の川連絡水路でつなぎ熊野川紀の川分流させる計画立て建設省アメリカTVAテネシー川流域開発公社方式である多数多目的ダム熊野川本流および北山川建設し治水灌漑水力発電行おうとした。 この「熊野川総合開発計画」は熊野川本流三箇所、北山川流域五箇所の多目的ダム建設する壮大なものであったこの内北山川には上流より前鬼口ダム北山ダム大沼ダム小松ダムの四ダム計画され北山川支流東ノ川大瀬ダム計画された。この中で最上流部に計画されていた前鬼口ダム(ぜんきぐちダム)が池原ダム原点である。規模は高さ95.0メートル総貯水容量2,950トン重力式コンクリートダムであった調査1949年昭和24年)に本格化したが、予測された総事業費450億円(当時に対して完成後の治水かんがい効果がわずかであることが判明費用対効果バランス著しく欠けることで「熊野川総合開発計画」は1953年昭和28年をもって中止され上記ダム計画全て中止された。

※この「熊野川総合開発計画」の解説は、「池原ダム」の解説の一部です。
「熊野川総合開発計画」を含む「池原ダム」の記事については、「池原ダム」の概要を参照ください。

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