厚生省の反発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:13 UTC 版)
池原ダムについては、補償交渉と同時に厚生省によるダム建設反対表明が事業遅延の要因として大きかった。 北山川の開発を行う上で池原・七色・奥瀞の三ダムは不可分の事業であった。特に七色ダムは池原ダムの揚水発電における下部調整池(下池)として重要であり、これが完成しないことには十全の水力発電能力は発揮できなかった。しかし北山川流域はほぼ全域が吉野熊野国立公園の指定区域であり、七色ダム地点には名瀑・七色の滝が、奥瀞ダム地点には吉野熊野国立公園の主要な観光地でもある瀞峡・瀞八丁があった。当初の計画通りにダムが完成すれば、これらは水没する。これに対して国立公園を管轄する厚生省、およびその諮問機関である自然公園審議会はこの計画に対して猛反対を唱えた。その最大の理由は自然保護であった。 厚生省は既に尾瀬原ダム計画(只見川)においてダム計画に絶対反対の姿勢を取っていたが、このときすでに黒部峡谷と熊野川における開発にも反対の姿勢を明確にしていた。国立公園内に自然改変を伴う工作物を建設する際には監督官庁である厚生省の許可がなければ、いかに重要な国土開発といえども着手できない。ダム地点はいずれも国立公園特別地域内であったことから厚生省への許可を求めたが、厚生省の諮問機関でこれら申請を検討する自然公園審議会は特に七色と奥瀞地点の着工は断じて許諾できないとしたのである。その理由としては以下のものがあった。 日本一の蛇行性峡谷である北山川は残された数少ない国家的な観光資源である。特に七色の滝から瀞八丁は絶景である。 七色ダムは池原ダムとの揚水発電に不可分な関係としても、七色の滝を水没させる。奥瀞ダムに至っては瀞峡を水没させる上に池原との不可分性を見出せない。 火力発電が電力の主力となっている「火主水従」時代において、大規模水力発電の将来性があるか疑問である。またダムの寿命が短いのに比べ、北山川の観光資源は永久である。 ピーク時の電力供給確保が重要ならば、将来性のある原子力発電などの選択肢があるのではないか。 こう述べて、池原ダムは現地点の建設を容認するが、七色と奥瀞のダム地点を環境に影響が及ばない地点に移動させない限り建設は認めないと勧告した。この勧告に従うと最大出力や年間発生電力量が大幅に減少し、結果として費用対効果に見合う開発にならず計画自体の経済性が喪失する。ともすれば建設省が断念した「熊野川総合開発計画」の二の舞になりかねなかった。電力を融通される予定であった中部電力と関西電力、及び地域開発や固定資産税など財政上の恩恵がある奈良県、三重県、和歌山県など流域自治体は当初計画での早期完成を望んでおり、電源開発は審議会の勧告には簡単に従えなかった。とはいえ池原ダム早期着工の観点、観光資源保護の観点で計画を変更する必要性はあり、計画変更の影響を最小限に抑えながら審議会の許可を取れるように、双方の整合性を取った計画修正を行った。 すなわち七色ダムを当初予定地から上流に移して七色の滝の水没を回避させ、奥瀞ダムについては当初地点より約11キロメートルに移した上で発電能力も4万キロワット削減させた。これが小森ダム(高さ34.0メートル、重力式)である。そして小森ダムには瀞峡の景観保持という観点から河川維持放流を常時行うこととした。当時全国の発電用ダムが余すことなく河水を利用し、各地の河川で流水が枯渇する中で異例の措置であった。こうした措置は1997年(平成9年)河川法改正による河川維持放流の義務化による河川環境維持対策の先鞭ともいえる。 こうした対策を審議会に提示し、数回にわたる折衝を経て厚生省から施工の許可が下り、池原ダムは本格的なダム本体の工事に入った。
※この「厚生省の反発」の解説は、「池原ダム」の解説の一部です。
「厚生省の反発」を含む「池原ダム」の記事については、「池原ダム」の概要を参照ください。
- 厚生省の反発のページへのリンク