熊野川開発全体計画とは? わかりやすく解説

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熊野川開発全体計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:13 UTC 版)

池原ダム」の記事における「熊野川開発全体計画」の解説

こうして建設省による「熊野川総合開発計画」は頓挫したわけであるが、先に述べたとおり水力発電として開発するには極めて魅力的な河川でもあり、1950年昭和25年)に熊野川水系国土総合開発法に基づき吉野熊野特定地域総合開発計画対象区域となり、開発機運はさらに高まった1952年昭和27年)には電源開発促進法成立により公営企業である電源開発誕生したが、電源開発建設省計画中止した後も水力発電単独調査進めた調査終了後1954年昭和29年7月第15回電源開発調査審議会開かれ席上10地点水力発電所からなる「熊野川開発全体計画」が策定された。この計画では建設省中止したダム計画八箇所のうち六箇所引き継ぎ熊野川本流筋に風屋ダム二津野ダム北山川筋に池原(旧・前鬼口)、七色(旧・北山)、奥瀞(旧・大沼)、大瀬の四ダム建設。さらに大瀬ダムから流域変更行って三重県尾鷲市流れ銚子川支流又口川経て熊野灘導水この間に二箇所発電所建設熊野川本流建設省施工進めていた猿谷ダムでは紀の川分水利用して箇所発電所建設するという壮大な計画であったこの内熊野川本流筋の風屋二津野ダム、及び紀の川分水に絡む西吉野第一第二発電所、そして尾鷲分水に絡む東ノ川大瀬ダムがまず着手され続いて北山川筋の池原七色奥瀞ダムからなる水力発電所群が着手されのである池原ダムはこれら「熊野川開発全体計画」における最大中核施設として計画された。

※この「熊野川開発全体計画」の解説は、「池原ダム」の解説の一部です。
「熊野川開発全体計画」を含む「池原ダム」の記事については、「池原ダム」の概要を参照ください。

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