景行天皇
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景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日)は、日本の第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日 - 同60年11月7日)。『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇。日本武尊(ヤマトタケル)の父[1]。纒向遺跡付近に都したと伝えられる最後の天皇であり、考古学上、実在したとすれば4世紀前期から中期の大王と推定されるが、定かではない。
注釈
- ^ 『古事記』では、倭建命が死の直前に大和を懐かしんで詠んだ歌とされる。
- ^ 『日本書紀』の表記は「彦人大兄」であり敬称は付いていない。『古事記』では「日子人之大兄王」。
- ^ 『古事記』のヤマトタケルの系譜では男系で孫、女系で玄孫となりいずれも合わない。景行天皇の曾孫なら合うが世代的に不合理である。父を若建王でなく若建吉備津日子命とすればヤマトタラシヒコの曾孫となる。
- ^ 景行天皇60年条に依る。垂仁天皇37年の立太子年から計算した崩年は143歳。
- ^ 志賀の高穴穂宮、これは詳細がまったくわかりません。「古事記」及び「日本書紀」に出てくるだけでございまして、「古事記」には成務天皇、「日本書紀」には景行天皇の宮都として出て参りますが、成務、景行という天皇自身の実在性を含めまして、高穴穂宮が実在したのか?どうかはわかりません。「近江・大津になぜ都は営まれたのか?」 大津市歴史博物館 P59
出典
- ^ a b c d 門脇(1979)p.192
- ^ “厚鹿文”. コトバンク. 2022年2月3日閲覧。
- ^ 朝日日本歴史人物事典. “熊曾建”. コトバンク. 2019年4月23日閲覧。
- ^ 国史大系. 第1巻 日本書紀. 経済雑誌社. p. 137(国立国会図書館)
- ^ a b c 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
- ^ 福井県大野郡教育委員会 (1912年). “福井県大野郡誌 下編”. dl.ndl.go.jp. p. 300. 2024年4月24日閲覧。
- ^ 日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫) 文庫 p302
- ^ 天皇〈125代〉の歴史 山本博文 2018年 西東社 p36
- ^ 『日本の歴史1』中公文庫 (1986)pp.325-348
- ^ 宝賀寿男「第一章 戦後の神武天皇」『「神武東征」の原像』青垣出版、2006年。
- ^ a b 荊木美行「景行天皇朝の征討伝承をめぐって」『日本書紀の成立と史料性』燃焼社、2022年、153-195頁。(原論文:『萬葉集研究』第37冊、塙書房、2020年)
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