向山古墳群とは? わかりやすく解説

向山古墳群

名称: 向山古墳群
ふりがな むこうやまこふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 鳥取県
市区町村 米子市淀江町
管理団体 米子市(昭7・1221)
指定年月日 1932.07.23(昭和7.07.23)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成11.07.13
解説文: H6-6-47向山古墳群※1.txt: 古墳時代淀江平野潟湖形成しており、これを見下ろす周囲丘陵上には数百基の古墳分布するこのうち潟湖東方位置する向山古墳群は、向山瓶山よばれる独立丘陵中心に前方後円墳円墳方墳密集し、西伯耆代表する古墳群形成している。なかでも向山丘陵にある岩屋古墳は、開口した大きな石室存在江戸時代から知られ出雲地方影響受けた複室構造切石石棺式石室をもつ前方後円墳として、昭和7年7月23日史跡指定された。
 淀江町教育委員会は、石屋古墳取巻く古墳群広域保存計画を築定するため、昭和60年から平成元年にかけて、古墳群測量調査確認調査実施した。この結果各古墳群の基本的な資料整備された。今回追加指定しようとするのは、岩屋古墳載せる向山丘陵上の6基の古墳と、その西方に並ぶ瓶山丘陵上の7基の古墳向山丘陵の東に延び小枝丘陵中腹にある石馬谷古墳の計14基の古墳である。古墳詳細別表に示す通りである。
これらの古墳は、5世紀後葉から6世紀後葉にかけて順次築造されており、古墳規模形態の差は、被葬者置かれ政治的社会的地位反映したものと考えられるなかでも向山3号墳向山4号墳、石馬谷古墳岩屋古墳は、それぞれの時期における西伯耆代表的前方後円墳であり、これらの変遷から西伯耆支配した首長墓の系譜を辿ることができる。また石馬谷古墳は、重要文化財指定されている本州唯一の石馬出土した古墳伝え北部九州当地域との交流強さ示している。岩屋古墳石室構造出雲地域影響色濃く受けている点を考慮すると、当古墳群形成した政治勢力が、畿内勢力のみならず北部九州出雲地方深く結びつきつつ勢力伸長していく過程をうかがうことができ、古墳時代政治的動向交流実態明らかにする上で、高い学術的価値有している。よってこれらの古墳追加指定するとともに、これらの古墳が一体の古墳群形成していることに鑑み指定名称を「向山古墳群」と変更し、その広域保存図ろうとするものである

向山2号墳前方後円墳 現在長16m 円筒埴輪須恵器 6C中葉後葉 削平により前方部を失う)
向山3号墳前方後円墳 全長39m 円筒朝顔形盾形埴輪土師器 五C後葉 後円部部分的に周溝が巡る)
向山4号墳(前方後円墳 全長645m 円筒朝顔形動物形埴
輪、土師器 5C末~6C初頭 葺石2段築成、くびれ部に造出し有り
向山6号墳前方後円墳 全長40m 円筒埴輪須恵器 6C後葉 前方部部分的に周溝が巡る)
向山7号墳方墳ないしは円墳 南北長20m 円筒朝顔形埴輪須恵器 6C前葉 大きく改変を受ける)
向山8号墳方墳 南北長6m 円筒・形埴輪須恵器土師器 6C前葉中葉 部分的に周溝が巡る)
瓶山1号墳前方後円墳 全長30m 須恵器 6C後葉
瓶山2号墳円墳ないしは方墳 推定長13m 土師器 不明 大きく改変を受ける)
瓶山3号墳(方墳 東西長12m 須恵器土馬 6C後葉 部分的に周溝が巡る)
瓶山4号墳(方墳 現在長16m 円筒埴輪須恵器 6C後葉
大きく改変を受ける)
瓶山号墳(円墳 推定径15m 不明 未調査
瓶山6号墳円墳 推定径12m 不明 未調査
瓶山7号墳前方後円墳 現在長31m 不明 未調査
石馬谷古墳前方後円墳 全長612m 円筒朝顔形埴輪須恵器 6C中葉 葺石2段築成、江戸時代石馬出土
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  名生館官衙遺跡  名越切通  向山古墳  向山古墳群  向島百花園  向羽黒山城跡  吾妻古墳

向山古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 00:33 UTC 版)

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向山古墳群(むこうやまこふんぐん)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳群。国の史跡に指定されている。

概要

古墳時代後期では伯耆最大規模の首長墓群で、1932年(昭和7年)7月23日に群中の岩屋古墳(1号墳)が、1999年(平成11年)7月13日には、長者ヶ平古墳を除く61,082平方メートルが国の史跡に指定されている。

古墳群は通称「向山」と「瓶山」と呼ばれる丘陵上を中心に、現在までに前方後円墳9基、円墳5基、方墳2基、不明1基の、計17基が確認されている。

現在、一帯は「伯耆古代の丘」として整備されており、今後、向山古墳群の本格的な整備も予定されている。近接して、史跡上淀廃寺跡妻木晩田遺跡が所在する。

主な古墳

  • 岩屋古墳(いわやこふん)
    向山1号墳。全長52メートル、高さ6メートルを測る前方後円墳で、更に後円部に15メートル四方の張り出しが付く。6世紀後葉の築造と考えられる。墳丘は2段で、葺石を有する。明和元年(1764年)に記された『伯路紀草稿』に「岩屋」の記載があり、すでに江戸時代中頃には石室が開口していたことがわかる。石室は全長9メートルを測る複室構造の横穴式石室で、精美な石棺式石室である。前方部が削られた際に、箱式石棺が出土し、礫敷の上に2体を埋葬、鉄刀1点が副葬されていたと伝えられる。周溝からは、土器円筒埴輪の他に、人物、馬、水鳥など多くの形象埴輪も出土している。
  • 長者ヶ平古墳(ちょうじゃがなるこふん)
    向山5号墳。全長48mを測る帆立貝式の前方後円墳である。6世紀中頃の築造と考えられる。中央には、明治2年に出土したという大規模な畿内型の横穴式石室が開口している。内部はベンガラで塗られ、鉄刀や鉄鉾が壁に立てかけられ、奥には石棺が置かれていたという記録が残る。また、現在は消滅しているが、明治34年には、その東側で小規模な石槨が検出され、希少な金銅製冠や三累環頭大刀などが出土した。現在、これらの出土品は東京大学の資料館に保管されている。

ギャラリー

文化財

国の史跡

  • 向山古墳群
    1932年(昭和7年)7月23日、岩屋古墳が国の史跡に指定[1]
    1999年(平成11年)7月13日、史跡「岩屋古墳」に従来未指定であった古墳13基(向山古墳群5基(5号墳除く)、瓶山古墳群7基、石馬谷古墳)を追加指定して、史跡指定名称を「向山古墳群」に変更[1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 向山古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

  • 『向山古墳群(淀江町埋蔵文化財発掘調査報告書 第17集)』淀江町教育委員会、1990年。

外部リンク

座標: 北緯35度27分16.4秒 東経133度26分25.9秒 / 北緯35.454556度 東経133.440528度 / 35.454556; 133.440528




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