伯耆国庁跡とは? わかりやすく解説

伯耆国庁跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 10:30 UTC 版)

伯耆国府跡 国庁跡地区

伯耆国庁跡(ほうきこくちょうあと)は、鳥取県倉吉市国府・国分寺に所在する、律令制下の地方行政の中心的施設の跡である。国の史跡に指定されている(史跡「伯耆国府跡」のうち)。

本国庁跡は、標高40メートルほどの丘陵に位置し、同一丘陵の東側には国分寺跡と法華寺畑遺跡がある。

発掘結果

発掘調査は、1969年(昭和44年)に柱穴状の落ち込み群が確認されたことから始まった。柱穴郡の状況から大規模遺跡の存在が予想され、1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)の間、6次にわたって行われた。発掘調査の結果、国庁跡と断定された。

本国庁跡は、幅2メートル、深さ1メートルほどの溝によって区画された外郭(曹司(ぞうし)地区)と、その中央部の内郭(国衙政庁地区)からなる。外郭の広さは東西273メートル、南北227メートルの長方形で東辺に東西51メートル、南北245メートルの張り出し部が取り付く。

内郭の北方と西方に官衙跡と考えられる建物群が検出されており、北方官衙は東西棟建物6軒と南北棟建物5軒、西方官衙は溝で区画された東西63メートル、南北53メートルの中に東西棟建物5軒と南北棟建物3軒が配置されている。両方とも掘立柱建物である。内郭の建物は、8世紀後半から10世紀の間に4時期の変遷が認められる。

  • A期は、8世紀後半。内郭は掘立柱塀によって、東西84メートル、南北94.5メートルに区画される。その中に南から北へ南門、前殿、正殿、後殿を配し、東西に長大な脇殿と、脇殿の南側の楼閣風建物を設けている。建物はすべて掘立柱建物で、左右対称に配置されている。
  • B期は、9世紀初頭。正殿、前殿、後殿を同位置に建て替えるとともに、東西脇殿に北側に新規の楼閣風建物を建てている。
  • C期は、9世紀中頃。内郭の外周に溝を彫り、内側に築地塀を巡らし、東西84メートル、南北106メートルに区画している。内郭内では前殿をなくし、南門と正殿との間をバラス敷きの舗道にしている。また、南門を除く他の建物を礎石建ちに造り替えている。
  • D期は、9世紀末から10世紀初頭。内郭を区画する溝を埋めて、新たに南と西に溝を掘り、東西111メートル、南北126メートルとして規模を拡張している。

外郭内は部分的発掘調査のため、全体は不明である。

出土品

土器類
土師器類が圧倒的に多く、その大半が食器類である。その中に「国」「厨」(くりや)「川村」などの墨書土器が見られる。
瓦類
脇殿周辺と南門周辺から出土し、数もあまり多くない。軒丸瓦、軒平瓦とも4種ある。
その他
硯類、帯金具、石帯、鉄製鍬先などで、八稜鏡(はちりょうきょう)の鋳型が特異なものである。

文化財

国の史跡

  • 国庁跡(史跡「伯耆国府跡」のうち)
    1985年(昭和60年)5月14日に「伯耆国庁跡 附 法華寺畑遺跡」として国の史跡に指定。1998年(平成10年)9月11日に史跡範囲の追加指定[1]
    2000年(平成12年)9月6日に不入岡遺跡を追加して、指定名称を「伯耆国府跡」に変更[1]

脚注

  1. ^ a b 伯耆国府跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

  • 真田廣幸 著「伯耆国庁跡」、文化庁文化財保護部史跡研究会監修 編『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0927-7 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度25分52.2秒 東経133度47分7.5秒 / 北緯35.431167度 東経133.785417度 / 35.431167; 133.785417


伯耆国庁跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:39 UTC 版)

国衙」の記事における「伯耆国庁跡」の解説

鳥取県倉吉市国府国分寺所在する1973年昭和48年)から1978年昭和53年)の間に6次にわたって発掘調査実施された。その結果伯耆の国府で国衙跡のほぼ全体発掘調査検出されるという大きな成果があった。国庁東側国分寺国分尼寺があった。国庁は、幅2メートル深さ1メートルほどの溝によって区画され外郭曹司[ぞうし]地区)とその中央部内郭国衙政庁地区からなり外郭域は東西273メートル南北227メートル長方形で、東辺に東西51メートル南北245メートル張り出し部が付く。遺跡8世紀中頃から10世紀の間のもので、大きく分けて4時期の変遷みられる

※この「伯耆国庁跡」の解説は、「国衙」の解説の一部です。
「伯耆国庁跡」を含む「国衙」の記事については、「国衙」の概要を参照ください。

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