郡衙とは? わかりやすく解説

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ぐん‐が【郡×衙】

読み方:ぐんが

律令制下の郡の役所。→国衙(こくが)


郡衙 (ぐんが)

律令りつりょう時代の「郡」をおさめるための役所です。今で言う市役所同じくらいの役割です。郡家[ぐうけ]とも言います


郡衙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 17:47 UTC 版)

郡衙(ぐんが)は、日本の古代律令制度の下で、の官人(郡司)が政務を執った役所である。国府とともに地方における官衙施設で、郡家(ぐうけ・ぐんげ・こおげ・こおりのみやけ)とも表記され、考古学では郡衙、史料上(歴史学)では郡家と表記される傾向がある[1]


注釈

  1. ^ 水戸藩の学者中山信名は、『新編常陸国誌』で礎石・瓦多い所が昔の郡庁があったところであると述べている。

出典

  1. ^ 岡本厚『岩波講座 日本歴史 第2巻』岩波書店 p185
  2. ^ a b 阿久津久「新治郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 91-92ページ
  3. ^ 糸賀茂男「常総のまつりごと 文化のあけぼのから兵の世へ」 長谷川伸三・糸賀茂男・今井雅晴・秋山高志・佐々木寛司『茨城県の歴史』山川出版社 1997年6月 33-37ページ
  4. ^ 八木勝行「志太郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 95-97ページ
  5. ^ 堀江門也「嶋上郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 98-99ページ


「郡衙」の続きの解説一覧

郡衙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:21 UTC 版)

栗太郡」の記事における「郡衙」の解説

遺跡栗東市岡、位置大規模な建物跡多数出土品から栗太郡衙跡に比定される。南北300m東西500m以上に広がる

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郡衙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 02:42 UTC 版)

石川郡 (大阪府)」の記事における「郡衙」の解説

石川西岸において、官衙的な要素をもつ集落遺跡が2ヶ所で報告されている。 中野遺跡では、一辺1メートル超える方形柱穴銙帯石製蛇尾発見されている。中野遺跡500メートル南方位置する畑ヶ田遺跡では、一辺0.8~1メートル柱穴からなる複数棟の掘立柱建物須恵器陶硯奈良時代銭貨納めた土師器甕、銙帯石製丸鞆発見されている。 2000年代まで調査先行していた中野遺跡石川郡衙と考えられてきた。しかし、近年に畑ヶ田遺跡調査大幅に進展し官衙的な遺物相次いで発見されたことにより、郡衙の所在地について再考求められている。

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郡衙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:11 UTC 版)

美作国」の記事における「郡衙」の解説

英多郡家 英多(あいだ)郡家豊国原盆地ないし江見盆地旧作東町川北藤生)が想定され、特に奈良平安時代の閻武廃寺跡が他の四廃寺通ず交通上の中心地位置していることや、"郡"の墨書のあるかわらけ出土品などから後者可能性が高いとされる美作市(旧・英田郡作東町)の高本遺跡である。 勝田郡勝田郡家は勝田盆地北西部大字平字尾堂293番地の畑のなかで「郡」刻印のある須恵器発見され、一体(平遺跡)の発掘調査が行われて奈良平安時代遺跡遺物発見されており、滝川沿いに南隣する川西でも建物跡発掘により見つかった。これらによりこの場所(勝田郡勝央町勝間田遺跡にあった推定される苫田郡苫田郡苫東郡苫西郡にもっとも早い時期分割されており、苫田郡家、また分割後の両者とも明確な位置わからない。『日本地理志料』は「即郡家所在郡名因起」と郡家位置によって郡名決まったという。苫東郡家は津山市大字北山椿高下」と"コウゲ"地名椿高下廃寺跡が重なる場所が可能性が高いとされ苫西郡は建郡の経緯から国府付近田中辺り推察される。 久米郡家 久郡家久米川砂岩段丘上(津山市(旧:久米郡久米町)の宮尾遺跡)にあり、四時期の遺構検出されている。第一期遺構遺跡中央部の品字形はいちの建物郡とその東方に総倉庫西方南北棟の建物である。 大庭郡白猪屯倉そのまま郡家になったとの考えは、現在白猪屯倉碑の建てられている真庭市五反大庭廃寺出土遺跡白鳳期から平安時代のもので、大庭一族氏寺であった推定されることにより否定され廃寺の西隣り現在の久世中学校から薬王寺付近に想定されている。 真嶋郡家 『落合町史』で郡家郡長住んだと見られる長者屋敷」と周辺の関連地名が検証され天津神社創立和銅3年(710年)であることや蔵通り仰天などの地名から、大字平島の北隣高屋集落立地する段丘上に想定されている。

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郡衙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 01:24 UTC 版)

那須郡」の記事における「郡衙」の解説

詳細は「那須官衙遺跡」を参照 8~10世紀那須郡の郡衙跡は、那珂川町小川曽にある那須官衙遺跡なすかんがいせき)(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯364652東経140度0635秒 / 北緯36.78113347度 東経140.10971512度 / 36.78113347; 140.10971512 (那須官衙遺跡))であると考えられている。 この遺跡那珂川箒川合流地点近くの、箒川形成した段丘上に位置する昭和初期より古瓦が散布することから寺院跡だと考えられ廃寺呼ばれていたが、発掘により郡衙跡であることが分かった1976年昭和51年)に国の史跡指定された。郡衙は南北200m東西400~600mほどの範囲にあり、その中を溝で西・中央・東さらに南東の4ブロック分けている。西ブロックは幅4m深さ1mの大溝によって囲われた1辺約200mの不正方形で、倉庫考えられる式の掘立建物多数つかっていることから倉院と考えられている。中央・東ブロック宅地になっている中央ブロックからは礎石立ちの倉庫考えられる建物2棟検出されている。東ブロック実務を行う場所(事務官衙)であった推定される。またこれらの南方には館や厨家があったと思われるが、このうちの館に関連する施設南東ブロックにあった考えられる所有者管理者)は那珂川町 他である。

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郡衙

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久慈郡」の記事における「郡衙」の解説

久慈郡の郡衙跡の場所についてはいくつかの説がある。のちの水府村後述現在の常陸太田市一部付近郡家であったとする説があるが、最も有力な説は郡衙は久米にあったとして現在の常陸太田市大里町から同市薬谷町にかけて存在する長者屋敷遺跡ちょうじゃやしきいせき、リンクは「遺跡ウォーカー」内、北緯363216東経140度2843秒 / 北緯36.537861度 東経140.478611度 / 36.537861; 140.478611 (長者屋敷遺跡))を郡衙跡とするものである。この遺跡には寺院古代久慈郡郡寺久(慈)寺の跡。#郡寺参照。)や集落含まれており、駅家久慈郡衙の跡であるとされている。この遺跡調査報告書長者屋敷遺跡からダウンロードできる。また後述するように久慈郡には郡と同じ名を持つである久慈村現在の日立市久慈町付近)があったが、郡衙跡とはされていない

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