郡寺
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郡寺(ぐんじ[1]、ぐんでら[2])は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、日本各地で造られた古代寺院の一種である。郡名を冠する「郡名寺院」を指す場合もあれば、評衙跡や郡衙跡が近接する「評・郡衙寺院」を指す場合もあるなど、研究者によってその定義は異なる[3]。また、郡寺が公的な性格を有するかどうかも議論となっている[3]。平安時代中頃には、ほとんどが廃寺となったため、不明な点が多い。[要検証 ]
- ^ 佐藤信『古代の地方官衙と社会』(日本史リブレット8)山川出版 2007年 p62
- ^ 古川ら5名『長野県の歴史』山川出版社 1997年 p77
- ^ a b c d e f g 梶原(2009年)pp.11-12
- ^ 奈良文化財研究所(2005年)p2-p9,準官寺説のみp21
- ^ 三舟隆之(2013)p367
- ^ 加藤謙吉[編]『日本古代の王権と寺院』大和書房 2015年
- ^ 志村忠夫『「ハイテク」な歴史建築』 p41「古代瓦は自ら"呼吸"し、屋内の湿度調整をすることによって、高温多湿の日本の気候から、古代木造建築物を内から守ってきたのです。」
- ^ 「新アジア仏教史 01」佼成出版社 2010年 p369、新アジア仏教史 02」佼成出版社 p272
- ^ 中山和久『47都道府県・寺社信仰百科』丸善出版 p6-7
- ^ 須田勉 佐藤信[編]『国分寺の創建 組織・技術編』吉川弘文館p2、 著者7名『新アジア仏教史 06』佼成出版社 2010年 p332-p346
- ^ 岡本厚『岩波講座 日本歴史 第3巻』岩波書店
- ^ 三舟隆之(2013年)p372-p384
- ^ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p6-7
- ^ 甲斐弓子『わが国古代寺院にみられる軍事的要素の研究』雄山閣 飛鳥寺などを代表例にあげる
- ^ 引用:小畑ら4名「Jr.日本の歴史① 国のなりたち」小学館 2010年 p285
- ^ 島根県古代文化センター[編]『解説 出雲風土記』今井出版 p60-p61
- ^ 三舟隆之(2013)p176
- ^ 三舟隆之(2013)p111-p113
- ^ 三舟隆之(2013)p116
- ^ 大津ら5名『岩波講座 日本歴史 第3巻』岩波書店 p191,p202
- ^ 奈良文化財研究所(2005年) P2
- ^ 佐藤信(2007年)p71-p72
- ^ 須田勉『国分寺の誕生 』吉川弘文館
- ^ 佐藤信『古代東国の地方官衙と寺院』山川出版社 2017年 p14
- ^ 三舟隆之(2013年)p368
- ^ 佐藤信(2007年)p101
- ^ 小畑ら(2010年)p264、原典は日本書紀
- ^ 東日本2008 p4より書き下しを引用:「天皇より伴造にいたるまで、造るところの寺、造ること能はずは朕皆助け作らん」
- ^ 小畑ら(2010年)p264、原典は扶桑略期
- ^ 岐阜県博物館『壬申の乱の時代-美濃国・飛騨国の誕生に迫る』平成29年度秋季 p38-p39より引用
- ^ 三舟隆之(2013)p366
- ^ 主に、奈良文化財研究所『地方官衙と寺院』2005 リストp231-p233、掲載元図p361-p368から作成。
- ^ a b c d e f g h i 畑中ら6名『滋賀県の歴史』山川出版 p76リスト:飛鳥・白鳳寺院数
- ^ 和泉市いずみの国歴史館『和泉国誕生』平成22年度特別展
- ^ チヌの県主(日本霊異記に大領)と坂合部連の知識寺?
- ^ 芦屋市教育委員会『芦屋廃寺遺跡(第122地点)発掘調査報告書)』 p7「古代菟原郡の中枢地であったことが判明」
- ^ 斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化センター『斎宮・国府・国分寺』p43
- ^ a b 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館
- ^ 伊勢国分寺跡の近くに、河曲郡衙跡と郡寺であろう大鹿廃寺があるという。斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化センター『斎宮・国府・国分寺』p42
- ^ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p72 かつて長福寺廃寺(一宮市)が最古とされた.
- ^ 三鬼清一郎『愛知県の歴史』山川出版社 p53 図より
- ^ 山梨県立考古博物館 『平成30年度夏季企画展 願いをかなえてほとけさま -甲斐の古代寺院-』
- ^ 神奈川県立歴史博物館『特別展 瓦が語る-かながわの古代寺院』2008年 p5より引用
- ^ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p91
- ^ 須田勉 佐藤信[編]『国分寺の創建 組織・技術編』吉川弘文館p306
- ^ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p75
- ^ 大津市歴史博物館『企画展 大津の都と白鳳寺院』2017年
- ^ p38 土岐郡・恵奈郡・長野県木曽郡は「刀支評」で正家廃寺がある p9
- ^ 岐阜県博物館『壬申の乱の時代-美濃国・飛騨国の誕生に迫る』p38
- ^ 岐阜県博物館『壬申の乱の時代-美濃国・飛騨国の誕生に迫る』p60
- ^ 川崎保『信濃国の考古学』雄山閣
- ^ 群馬県立歴史博物館・展示
- ^ 栃木県立しもつけ風土記の丘資料館『ムラから見た奈良・平安時代 -寺や役所が立ち並ぶなかで-』2011年
- ^ 埼玉県立歴史と民俗の博物館『仏教伝来 埼玉の古代寺院』2010年
- ^ 田代ら4名『埼玉県の歴史』山川出版社 p73
- ^ 田代ら4名『埼玉県の歴史』山川出版社 p74
- ^ 丸井ら4名『福島県の歴史』山川出版社p49
- ^ 奈良文化財研究『郡庁域の空間構成』2017年 p82
- ^ 美浜町教育委員会「耳別氏、若狭に起つ」2018年
- ^ 野々市ふるさと歴史館・展示、道君(加宜国造?)
- ^ 射水郡大領として万葉集にある安努君広嶋(あぬのきみひろしま):氷見市立博物館
- ^ a b 内藤ら3名『鳥取県の歴史』山川出版社p64-p65
- ^ 因幡万葉歴史館の常設展示より
- ^ a b 松尾ら6名『島根県の歴史』山川出版社 p100
- ^ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p118
- ^ 小野市立好古館では広渡廃寺(国史跡)が郡内最古と展示。「古代地方寺院の造営と景観」p109では河合廃寺が郡内最古・郡寺の可能性と掲載
- ^ 渡哲夫・亀田修一『吉備考古ライブラリ13 吉備の古代寺院』2006年 p146
- ^ 大橋泰夫「古代国府の成立と国郡制」p54
- ^ 渡哲夫・亀田修一『吉備考古ライブラリ13 吉備の古代寺院』2006年 p147
- ^ 渡哲夫・亀田修一『吉備考古ライブラリ13 吉備の古代寺院』2006年p17-18、p146
- ^ 広島県立歴史博物館『平成22年度春の企画展 広島・古代史発掘 -安芸・備後の成立へ-』
- ^ 香川県立ミュージアム『讃岐びと、時代を動かす』2017年 p36
- ^ 徳島県立博物館[編]『瓦か見る古代の阿波 寺院と役所』2015年
- ^ 萩ら5名『高知県の歴史』山川出版社 p45
郡寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 01:24 UTC 版)
那須郡の郡寺は上記那須官衙遺跡の北方、那須郡那珂川町浄法寺下坪に位置する浄法寺廃寺(北緯36度47分12秒 東経140度06分33秒 / 北緯36.786750度 東経140.109111度 / 36.786750; 140.109111 (浄法寺廃寺))であると考えられている。この遺跡は7世紀中葉ごろに創建された寺院の跡で、那須官衙遺跡と同じく箒川右岸の台地上に位置する。
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郡寺
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久慈郡の郡寺は上記長者屋敷遺跡内にある久(慈)寺であると考えられている。寺名については、当寺の寺域を囲んでいたと思われる溝や住居跡から「久寺」と読める墨書土器が出土しており、郡寺には郡名を冠する「郡名寺院」と呼ばれるものがあることから、「久寺」を「久慈寺」の略で郡名を称する寺院の名であると考えたものである。
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