平沢官衙遺跡とは? わかりやすく解説

平沢官衙遺跡

名称: 平沢官衙遺跡
ふりがな ひらさわかんがいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 茨城県
市区町村 つくば市大字平沢
管理団体
指定年月日 1980.12.04(昭和55.12.04)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S55-05-018平沢官衙遺跡.txt: 関東名山筑波山屹立する筑波の地は、古代より豊かな歴史の展開をみせた地域一つである。常陸国風土記によれば筑波の地は、古く筑波の県、あるいは紀の国呼ばれた伝え、また筑波国造治める所であった。その由緒うけつぐ筑波郡は、筑波山南麓中心に定められ、その郡家所在については現在の筑波町北条の地に比定されてきたが、平沢遺跡はその一角に当っている。
 郡家推定地は、筑波山南方で、西に突出する平沢山と通称される小丘陵の南の比高5~10メートルほどの台地にあって台地南方平野には条里制遺構広がる台地は西にある中台台地東西500メートル南北約1,000メートル)とその東に浅い谷をへだてて相対峙する不整形な島状をなした平沢台地東西・南北250メートル)がある。2つ台地からは、奈良・平安時代属する瓦や土器等の出土品礎石遺存知られてきており、郡家あるいは郡寺かとする説が立てられていた。とくに平沢台地では礎石状の石の遺存がかなり広範囲知られていた。
 この平沢台地で、茨城県住宅供給公社による団地造成計画され昭和50・51年にかけての3次にわたる発掘調査茨城県教育委員会により行われ、この遺跡内容判明してきたものである調査され遺構としては、規則的に配列され掘立柱建物群、礎石群、基壇高まり部分竪穴住居跡、及びそれらをとり囲むとみられる大溝主なものである。
 掘立柱建物群は12棟以上確認されている。全て方形大きな掘方をもち、建物身舎内にもをもついわゆるべた倉庫とみられる建物である。建物規模最大のもので15×7.2メートル比較的多いもので9×6メートル程のものであり、二間一間のもの1棟、三間二間のもの6棟、四間二間のもの1棟、三間三間のもの1棟、四間三間のもの1棟、五間三間のもの2棟等がある。その柱間寸法は7尺から10尺に達す大規模なものがほとんどである。建物の配置西方では南北建物南北並び中央部分では東西建物東西並んでおり、東方では向き変えた東西建物東西並列し、また南よりにも建物存在していたことが知られる。これらの建物群がある所には、掘方の重複や列状をなした掘方が多くあり、また建物方向からみて同時存在みられないものであって2回以上の造営があったことが知られ、このことから12棟をはるかにこえる建物群の変遷があったことをうかがわせている。
 基壇状の高まり部分は、東方に2か所が一辺10メートルをこす状態で認められ、また中央部分掘立柱建物の上層で版築遺存していたといわれ、礎石遺存合せて考えると、掘立柱建物遅れて多く基壇建物建てられたことが知られる礎石東方高まり部分にもいくつか遺存附近掘立柱建物の上にも若干遺存している。また北辺大溝北方にも礎石群の遺存確認されている。中央から西方にかけて遺存した礎石一部据わったままのものもあるがすでに大部分道路脇等に移されていた。なお掘立柱建物先行する鬼高式期以前竪穴住居跡2か所が検出されている。
 これらの遺構をとり囲む形で、大溝台地北辺と西辺で確認された。溝の幅は2メートル以上、深さメートル程度のもので、西北の角から東に130メートル以上、南に120メートル上続くことが判明した地形との関連から台地中央部方形にとり囲むものかと考えられている。
 竪穴住居跡からの土師器を別として、遺構上から出土した出土品としては、瓦片や黒土師器を含む土師器須恵器少量あり、遺構年代うかがわせる
 以上、調査結果として平沢遺跡は島状の台地中央の大部分大溝でとり囲みこの内部に掘立柱建物による多数倉庫群計画的に配置したものであり、倉庫群何回かの建替があり、後に礎石用いた建物建替する等の変遷をへたことが判明した。その使用時代は瓦や土器から奈良・平安時代属する。このような柱間寸法10尺にも達す倉庫群あり方は、地方官衙の一形態であることは明らかである。他の地方官衙あり方比較すると郡の正倉考えるのが最も妥当であろう。なお平遺跡に西接す中台台地は、その広さ平沢遺跡同様な出土品及び礎石等からみて関連した遺跡が埋れていることが予想されている。平沢遺跡発掘され地方官衙としてこの地方歴史の研究上重要な意義をもつものであるだけでなく、この種の遺跡として代表的なものであるので、指定し保存を図るものである
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史跡:  平川廃寺跡  平戸和蘭商館跡  平林城跡  平沢官衙遺跡  平田篤胤墓  平等院庭園  平賀源内墓

平沢官衙遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/27 21:00 UTC 版)

平沢官衙遺跡 概観(右奥に筑波山
平沢
官衙遺跡
位置

平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)は、茨城県つくば市平沢にある古代官衙遺跡奈良時代平安時代常陸国筑波郡郡衙跡で、国の史跡に指定されている。

概要

平沢官衙は、奈良時代から平安時代にかけて造営された常陸国筑波郡の郡衙(役所)の一部で、その重要性から国の史跡となっている。

郡衙には、郡衙政庁(役人が執務する場所)、正倉(租税として集められた稲などの保管倉庫)、館(宿泊・饗応の役割)、厨(食事を作る場所)などの建物があり、平沢官衙跡はこの中の正倉部分と云われている。この遺跡には、掘立柱建物跡が55棟、礎石建物基壇跡4基、大溝跡や柵列跡、竪穴建物跡25軒が発掘されている[1]

この遺跡にあった建物は、コの字やLの字などの平面配置になっており、それぞれのまとまりごとに順番に増築されていったと考えられている。建物跡には、側柱式建物と総柱式建物があるが、この遺跡の3分の2が総柱式建物になっていた。

沿革

  • 1975年(昭和50年) - 県営住宅団地造成に先立つ調査により遺跡としての重要性が判明する。
  • 1980年(昭和55年) - 保存運動の結果、国の史跡となる。
  • 1993年(平成5年) - 翌年にかけて、本格的な調査が行われる。
  • 1997年(平成9年) - この年から6年をかけて、一部の施設が往時の姿に復元建築される。
  • 2003年(平成15年) - 遺跡が歴史公園として一般に公開される。

復元された施設

敷地内には正倉高床倉庫)などが実物大で復元され、2003年4月に公開された。このほか、建物跡を取囲んで北溝160メートル、西溝110メートルの大きな溝や柵列の跡が復元されているが、これはさらに史跡指定地外へ延びている。毎年11月には「つくば物語」なるオカリナコンサートを中心としたイベントが開催される。

高床土壁塗双倉

高床土壁塗双倉

史跡のほぼ中央にある最大級の建物の高床土壁塗双倉(ならびくら)は、床面積125m2を超す大型倉庫である。復元に際し、法隆寺網封蔵を参考に土壁と茅葺にされている。

古代の文献により、郡衙において中心的で巨大な正倉は法倉と呼ばれ、土壁構造が多かったと推定される事から、土壁で復元された。現存する古代の土壁の倉として奈良県の法隆寺封蔵を参考にしている。そして、遺跡東南隅の2棟が双倉になる可能性があるため、同蔵と同じ双倉構造にしている。屋根は、本遺跡の瓦出土量が少なく、瓦葺建物は考えにくいことから茅葺になった。

高床校倉

高床校倉

古代の文献により、校木を井桁状に組み上げる校倉は、郡衙正倉では中規模以下の倉におおいことが判明している。また、校倉は柱がないため軒先が下がりやすい。ここでは、外周柱穴列を屋根支柱と推定して、校倉で復元している。屋根は校倉建物におおい寄棟としてある。復元に際しては、東大寺唐招提寺に現存する奈良時代の校倉を参考にしている。

高床板倉

高床板倉

発掘調査で発見される掘立柱建物は、1柱穴1柱がふつうなのだが、本建物では側柱穴に2本の柱痕跡が見つかった。これは、1本は床上まで伸びて桁・梁を支える通し柱、もう1本は床を支える添束(柱)と考えられるため、柱のあいだに板壁を落とし込む板倉で復元された。屋根は軒の出が短い切妻になっている。古代の文献では、郡衙正倉はこの板倉がもっとも多くなっている。

大溝跡

遺跡全体を取囲むように大型の溝跡が掘られていた。確認された長さは、西溝110めぬま、北溝150メートルだが、史跡の外側で確認された段差も東溝と推定すると北溝の長さは200メートルを超えている。断面は概ね上幅4メートル、下幅1.8メートル、深さ1.2メートルの逆台形になっている。

交通

関東鉄道「大池・平沢官衙入口」またはつくバス「平沢官衙入口」バス停下車。

脚注

  1. ^ 2009年現在。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯36度10分41.5秒 東経140度06分13.7秒 / 北緯36.178194度 東経140.103806度 / 36.178194; 140.103806




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