平川廃寺跡とは? わかりやすく解説

平川廃寺跡

名称: 平川廃寺跡
ふりがな ひらかわはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 城陽市平川
管理団体
指定年月日 1975.11.25(昭和50.11.25)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S50-1-006平川廃寺跡.txt: 平川廃寺跡は、南山城木津川東岸宇治丘陵縁辺の低い台地上に位置する奈良時代後期創建寺院跡である。
 検出され伽藍中枢部のうち、塔跡一辺17.2メートル現存1.4メートル基壇をもち、礎石据付痕跡から柱間3.5メートル等間のものである基壇周辺玉石並べて地覆とし、上に半截平瓦積んでいる。塔跡の東約8.5メートルをおいて東西22.5メートル南北17.2メートル現存高0.7メートル金堂とみられる基壇がある。基壇周辺化粧は塔とほぼ同様である。この塔と金堂をかこんで東西82メートル南北65メートル回廊基壇がめぐる。その外にさらに寺域を限るかとみられる[[築地]ついじ]痕跡がある。
 平川廃寺跡は、大規模な塔をもち、南山城地方奈良時代寺院代表するものとして貴重なのである
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史跡:  平城京朱雀大路跡  平塚川添遺跡  平安宮跡  平川廃寺跡  平戸和蘭商館跡  平林城跡  平沢官衙遺跡

平川廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 06:48 UTC 版)

平川廃寺跡(ひらかわはいじあと)は、京都府城陽市平川古宮にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。旧大和街道沿い、久津川古墳群の中心付近に位置し、赤塚古墳に接する。現在は、史跡公園として伽藍中心部の塔跡と金堂跡のみを残し、それ以外の寺域部分には民家が建っている。礎石基壇の復元はなく、建物跡は土壇で確認できるのみである。


  1. ^ 藤田智子「平川廃寺の軒瓦の展開-竜谷大学調査資料を中心として-」『帝塚山大学考古学研究所研究報告』3号(2000年)
  2. ^ 木本好信「黄文王と橘奈良麻呂」『奈良平安時代史の諸問題』和泉書房、2021年 P45-47.


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