赤塚古墳
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赤塚古墳(あかつかこふん)は、全長57.5メートル、後円部の直径36メートル、高さ4.8メートル、前方部の幅21メートル、高さ2.5メートルの前方後円墳。3世紀末に築造された九州最古の前方後円墳であるとされる。周囲に幅8.5メートル-11メートルの空濠を有する。石室には箱式石棺を有する。大正10年(1921年)の発掘で、副葬品として三角縁神獣鏡4面・三角縁龍虎鏡1面・碧玉管玉、鉄刀片、鉄斧などが出土している。銅鏡は、椿井大塚山古墳(京都府)、石塚山古墳(福岡県)、原口古墳(同)出土のものと同笵鏡であるとされており、初期のヤマト王権が各地の首長に与えたものであると考えられている。
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赤塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 13:57 UTC 版)
平川廃寺跡の西側築地の外側で赤塚古墳が見つかった。築地はこの古墳を壊さないように古墳を避けて巡っていた。古墳は、すでに墳丘のほとんどを削られていたが、南側に造り出しをもつ直径約22.5mの円墳で、使用された埴輪から5世紀後半の築造と考えられる。
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