時期と規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 17:00 UTC 版)
古墳時代前期、とくに出現期からみられ、さらに弥生墳丘墓からも検出されることがある。本来は竪穴式石室もしくは竪穴式石槨に納めたものと考えられるが、古墳時代中期中葉以降、粘土や礫で包んだり(粘土槨・礫槨)、木棺を直葬(直接、墓壙に埋葬)する場合もあった。なお、竪穴式石室が割竹形木棺を内包する埋葬施設であったことを解明したのは小林行雄であり、今日でも出現期古墳における「定型化」の一要素として割竹形木棺が掲げられることが多い。 「墳丘墓」の概念を弥生時代に導入した近藤義郎は、前方後円墳について「首長霊継承儀礼の場」との見解を示し、それが今日の定説となっている。近藤は、弥生墳丘墓と前方後円墳との相違点として、 墳形・墳丘規模において「飛躍」がみられること 埋葬構造として長大な割竹形木棺と竪穴式石室を有すること 一定の規範にもとづく副葬品において中国鏡、とくに多数の三角縁神獣鏡を伴うこと などを掲げ、ここでも割竹形木棺が出現期古墳の特徴の1つとして重視されていることがわかる。 それに対し広瀬和雄は、黒塚古墳(奈良県天理市)や元稲荷古墳(京都府向日市)などのような割竹形木棺と竪穴式石槨の組み合わせに対し、赤塚古墳(大分県宇佐市)では箱形石棺をともなっているなど、出現期古墳における個々の古墳の特殊性について指摘している。 古墳時代前期にあっては、むしろ石室の規模は割竹形木棺の規模によって左右される様相がみてとれる。副葬品は、多量の銅鏡をはじめ鉄製の武器、農工具など呪術的性格の濃いものが多い。また、古墳時代前期にあっては、通常、全長が5~8mにもおよぶ長大な規模であったのに対し、年代が下るにしたがって短くなり、後期には2~3m程度のものが多くなる。なお、前期後半には割竹形、舟形、長持形など多様な石製の棺(石棺)が増え、後期になると刳抜式木棺は「舟形」も含めて減少し、木棺としては、かわって組み合わせ式の箱形木棺が増える。
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