弥生墳丘墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 02:51 UTC 版)
弥生墳丘墓(やよいふんきゅうぼ)は、日本の弥生時代の墳丘墓(墳丘をもつ墓)を指す[注釈 1]。弥生時代の墓制の一つ。
注釈
- ^ 後述の(和田 2003)の定義に従う。
- ^ 近藤は三者を厳密に分けることが困難であるとしており[4]、この時点ではあくまで暫定的な用語であった。
- ^ 都出は、とくに古墳時代の「低墳丘古墳」について超時代的に理解して「低墳丘墓」に一括するのが妥当であるとする(都出 1986, p. 224)。同一の系譜上に位置するこれらの「低墳丘墓」が古墳時代に属するとき「『古墳』なる特殊呼称をも有することになる」(都出 1986, p. 224)というように、弥生墳丘墓と古墳との差異を時代の差においていた。ただしこの論文上で「弥生墳丘墓」の呼称は現れない。
- ^ 一部の場合もある。
- ^ この分布は方形周溝墓とは総体的な地域差を示す[15]。
- ^ 貼石方形台状墓、四隅突出型方形台状墓など。
- ^ 前方状方形墳丘墓や前方後円墳丘墓など。
- ^ 貼石方形周溝墓、四隅突出型方形周溝墓、丘陵上の方形周溝墓など。
- ^ 荒島地域の弥生時代から古墳時代にかけての墳墓群の総称だが、このうち仲仙寺墳墓群・安養寺墳墓群・塩津山墳墓群・下山墳墓群で四隅突出型弥生墳丘墓が築造されている。
- ^ 本古墳について、寺沢薫は、箸墓古墳よりも先に築造された6基の「纒向型前方後円墳」の中にふくめている[22]。
出典
- ^ (近藤 1983)、(近藤 1986)ほか
- ^ 近藤 1977.
- ^ 近藤 1977, p. 1.
- ^ 近藤 1977, pp. 1–2.
- ^ 都出 1979, p. 19.
- ^ 都出 1986, p. 222.
- ^ 都出 1979.
- ^ 都出 1986.
- ^ 和田 2003, p. 3.
- ^ a b 和田 2003, p. 4.
- ^ 和田 2003.
- ^ a b 和田 2003, pp. 7–8.
- ^ 和田 2003, p. 9.
- ^ 和田 2003, pp. 8–10.
- ^ a b c 和田 2003, p. 7.
- ^ 和田 2003, p. 8.
- ^ 近藤 & 春成 1967.
- ^ 宇垣 2016, pp. 46–48.
- ^ 和田 2004.
- ^ 渡辺 2007.
- ^ 肥後 2010.
- ^ 寺沢 1988.
- ^ 古川 1993.
[続きの解説]
「弥生墳丘墓」の続きの解説一覧
- 1 弥生墳丘墓とは
- 2 弥生墳丘墓の概要
- 3 各地の墳丘墓
- 4 脚注
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