弥生墳丘墓から前方後円墳へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:40 UTC 版)
「弥生墳丘墓」の記事における「弥生墳丘墓から前方後円墳へ」の解説
墳丘墓の突出部が一見前方部の原形のようになってくるのは、中国山地では弥生中期後葉から、山陰では後期後葉から、北陸では少し遅れ、吉備では後期後葉からである。 以上のように、弥生時代後期後葉には、弥生墳丘墓が地域ごとに独自な形式で成立するとともに、地域ごとの祭祀的世界や政治的勢力が形成されていたと考えられる。 古墳時代に入ると前方後円墳が巨大化し、突出部は、前方部に整えられていく。さらに、墳丘の形と規模において格差が明瞭に現れて、前方後円墳・前方後方墳・円形・方形といった前方後円墳体制を形成する。
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