弥生地区の町域変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:21 UTC 版)
本郷区(のち文京区)向ヶ丘弥生町は「弥生時代」、「弥生土器」の名称の由来となった地名として知られ、町名変更に反対する行政訴訟が起こされたことでも知られている。当地区では昭和40年(1965年)4月1日に住居表示が実施された。この際、向ヶ丘弥生町の大部分と森川町のごく一部をもって弥生一・二丁目が成立、向ヶ丘弥生町の残余の区域は根津一丁目となった。これに伴い、東京大学農学部東側一帯の住宅地の住所が向ヶ丘弥生町から根津一丁目に変更されたが、この変更に対しては地元住民からの強い反対があり、行政訴訟が起こされた。その結果、昭和42年(1967年)1月1日付けで町域が再変更され、根津一丁目の一部が弥生一・二丁目に編入された。根津一丁目から編入されたのは現行の弥生一丁目2〜6番街区および弥生二丁目13〜20番街区である。前者は昭和40年までは根津西須賀町であった区域、後者は旧向ヶ丘弥生町の一部である。なお、「弥生時代」の名称の由来となった土器の正確な出土地点はわかっていないが、東京大学浅野地区にある弥生二丁目遺跡がそれであると推定されている。
※この「弥生地区の町域変遷」の解説は、「文京区の町名」の解説の一部です。
「弥生地区の町域変遷」を含む「文京区の町名」の記事については、「文京区の町名」の概要を参照ください。
- 弥生地区の町域変遷のページへのリンク