弥生土器への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:08 UTC 版)
九州で水田稲作が始まった当時の土器は、刻目突帯文土器(きざみめとったいもんどき)である。この土器は、菜畑遺跡や板付遺跡などの水田のある最古の層の大部分を占める縄文土器である。そのうちの数%の土器は、形は突帯文土器だが、技法は朝鮮無文土器であった。 その後、形は縄文系を保つが、作成の技法は、半島の無文土器を使う弥生土器である板付1式に変わる。この意味で、西日本の縄文土器は、弥生土器の系譜に連なっている。また、東北北部や北海道では、かなり遅くまで縄文土器の系統をひく土器が使われ続けた(続縄文文化)。
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