常陸国風土記とは? わかりやすく解説

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ひたちふどき【常陸風土記】

読み方:ひたちふどき

奈良時代常陸国地誌1巻和銅6年713)の詔により撰進された風土記の一。養老年間717〜724)に撰進11郡中9郡の記事残っている。常陸国風土記。


常陸国風土記

読み方:ヒタチノクニフドキ(hitachinokunifudoki)

古代地誌

別名 常陸風土記


常陸国風土記

読み方:ヒタチノクニフドキ(hitachinokunifudoki)

分野 地誌

年代 奈良時代

作者 編者未詳


常陸国風土記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 03:58 UTC 版)

常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)は、奈良時代初期の713年和銅6年)に編纂され、721年養老5年)に成立した、常陸国(現在の茨城県の大部分)の地誌である。 口承的な説話の部分は変体の漢文体、歌は万葉仮名による和文体の表記による。


  1. ^ 713年5月2日「畿内・七道諸国の郡(こおり)・郷(さと)の名に好い字(漢字二字)を付け、郡内に産出する金・銅・染色(絵具の材料)・植物・鳥獣・魚・虫などのものは、詳しく種類を書き、土地の肥沃程度を書き、山・川・原野の名のいわれ、また古老の伝えるその地の伝承などを記録して報告せよ」(原漢文)
  2. ^ 長谷川伸三「文化のあけぼのから兵の世へ」 長谷川伸三・糸賀茂男・今井雅晴・秋山高志・佐々木寛史編『茨城県の歴史』山川出版社 2003年 27-28ページ
  3. ^ 『延喜式』『吾妻鏡』その他等


「常陸国風土記」の続きの解説一覧

常陸国風土記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:59 UTC 版)

ダイダラボッチ」の記事における「常陸国風土記」の解説

奈良時代成立した『常陸国風土記』のうち、常陸国那賀郡(なかのこおり)(現在の茨城県那珂郡〈なかぐん〉)について記された「那賀略記」には、以下のとおり大昔の「大櫛之岡(おおくしのおか)」にいたという長大な人についての記述平津駅家条)がある。 《 原 文 》 ※縮小文字原本上の補足。※和字間隔現代補足平津驛家西一二有岡 名曰 大 上古有人長大 身居丘壟之上 手摎海濱之蜃 大蛤其所食貝 積聚成岡 時人 取大朽之義 今謂大櫛之岡 其踐跡 長卌餘歩 廣廿餘歩 尿穴徑可廿餘歩許 — 『常陸國風土記』那賀略記書き下し文》 ※振り仮名文語体。.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}平津駅家(ひらつのうまや)の西一二(いちに)里(り)に岡(をか)あり。名を大(おほくし)と曰(い)ふ。上古いにしへ)、人あり。體(かたち)は(きは)めて長大(たけたか)く、身(み)は丘壟(をか)の上(うへ)に居(ゐ)ながら、手は海浜うみべた)の蜃(うむき)を摎(くじ)りぬ。大蛤(おほうむき) 也(なり)。其(そ)の食(く)らひし貝(かひ)、積聚(つも)りて岡(をか)と成(なり)き。時人ときのひと)、大朽(おほくち)の義(こころ)を取(と)りて、今は大櫛之岡(おほくしのをか)と謂(い)ふ。その践(ふ)みし跡(あと)は、長さ卌(しじふ) 歩(あし)余(あまり)、広さ廿(にじふ) 歩(あし)余(あまり)、尿穴(ゆまりのあな)の径(わたり) 廿(にじふ) 歩(あし)余(あまり) 許(ばかり)なり。 《口語解釈例》 ※振り仮名口語体。[ ]内は文意整えるための補足文。( )内の※に続く記述注釈。[常陸国ひたちのくに)の那賀郡(なかのこおり)にある交通の要衝・]平津駅家(ひらつのうまや)から西へ一二(いちに)里(り)もしくは1里・2里ほど行った所に岡(おか)(丘)があり、名を「大(おおくし)」という。大昔、[この地に]人がいた。[その人の]体(からだ)は極めて長大ちょうだい)で、岡の上いながらにして手は海浜の蜃(うむき)を掘り起こしてしまう。[それほど巨人であった。][ここでいう蜃(うむき)とは]大蛤(おおうむき)である(※『うむき(蜃、)』はハマグリ古語)。その[巨人の]食べた貝[の殻]は、積もり積もってになった当時の人(※現代〈すなわち、奈良時代〉の我々から見て大昔人々)は[“大量の貝が朽ちている”意をもって、この岡を]「大朽(おおくち)」と呼んだが、[それが訛って今は大櫛之岡(おおくしのおか)」という(※比定地大串貝塚(おおぐし かいづか)。その所在地は、現在の茨城県水戸市塩崎町1064-1、かつての東茨城郡常澄村塩崎)。その[巨人の]足跡は、おおよそ長さ40歩あまり、幅20歩あまりで、尿の穴(※立ち小便によって穿たれた穴)は直径20歩あまりであった考古学等の諸分野においても、係る大櫛之岡巨人伝説」とその比定地大串貝塚は相当に重要で、縄文時代貝塚遺跡文献記されている最古の例、もっと言えば石器時代遺跡記録され日本最古の例として知られている。

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「常陸国風土記」を含む「ダイダラボッチ」の記事については、「ダイダラボッチ」の概要を参照ください。


常陸国風土記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 03:59 UTC 版)

晡時臥山」の記事における「常陸国風土記」の解説

常陸国風土記では晡時臥山伝承下記のように伝えられる茨城の里の北にある高い丘に晡時臥山があり、努賀毗古(ぬかびこ)と努賀毗咩(ぬかびめ)の二人の兄妹が住んでいた。妹の努賀毗咩の元にだれとも分からない求婚者が夜毎現れた。妹が求婚受け入れると一晩で身ごもり、やがて小さな産んだ。この夕暮れから夜明けの前までは母と会話ができた。努賀毗古も努賀毗咩も神の子ではないか驚き清めた坏に入れ祭壇祀るようになった一晩で杯いっぱいにまで成長したので、大きな杯に取り換えると、または杯いっぱいになるまで成長した。これを繰り返すうちにに合う器が無くなってしまった。努賀毗咩は自分では養いきれないので父の元へ行くよう促した悲しんだが、供に童子一人付けてくれるよう頼んだ。努賀毗咩がここには兄と私しかいないでつけることができない告げると、はこれを恨んだ別れの時怒って努賀毗古を殺し、天に上ろうとした。驚いた努賀毗咩が盆を取り投げつけると、神蛇はこれにより天に上ることができなくなり、この山に留まった。入れていた器は今でも片岡村残されている。 常陸国風土記原文次の通り茨城里自此以北高丘名曰晡時臥之山古老曰有兄妹二人兄名努賀毗古妹名努賀毗咩時妹在室有人不知姓名常就求夜来晝去遂成夫婦一夕懐妊至可産月終生明若無言闇与母語於是母伯驚竒心挾神子即盛浄杯設壇安置一夜之間已満坏中更易瓮而置之亦満瓮内如此三四不敢用器告子云量汝器宇自知神子我属之勢不可養長冝従父不合有此者時子哀泣拭面答云謹承母無敢辞然一身獨去無人左右望請矜副一小子母云我家有母与伯父是亦汝明知無人相可従爰子含恨而事不吐之臨決別時不勝怒怨震殺伯父昇天時母驚動取瓮投觸子不得昇因留此峯盛瓮今存片岡子孫立社致祭相續不絶 — 常陸国風土記、那珂郡 この夜毎現れ求婚をする正体不明な男や、生まれた子が問題となる伝承は、古事記に伝わる三輪山伝承山城国風土記逸文伝えられる賀茂伝承など類似するものが多い。また、肥前国風土記の褶振山の伝承でも夜毎に通う説話伝えられる

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