大櫛之岡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 09:59 UTC 版)
詳細は「ダイダラボッチ#常陸国風土記」を参照 奈良時代に成立した『常陸国風土記』のうち、常陸国の那賀郡(なかのこおり)(現在の茨城県那珂郡〈なかぐん〉)について記された「那賀略記」には、平津駅家(ひらつのうまや)の西方にある、今(奈良時代)は「大櫛之岡(おおくしのおか、歴史的仮名遣:おほくしのをか)」と呼んでいる岡(丘)には、大昔、“長大な人”がいたのだという旨の記述(平津駅家条)があり、この“長大な人”は近現代の民俗学をして日本の巨人の代表的存在である「ダイダラボッチ」の特に注目すべき一例であると見なされている。 平津驛家条には、「“長大な人”は、岡にいながら海浜に手を伸ばして大蛤(おおはまぐり)を掘り起こし食べていた」、「食べ残しの貝殻が積もりに積もって岡になった」、「大昔の人は(“大量の貝が朽ちている”意をもって)この岡を『大朽(おおくち)』と呼んでいたが、それが訛って今では『大櫛之岡(おおくしのおか)』と呼んでいる」などといった旨の記述があり、近現代の学術的知見は、この大櫛之岡の比定地として大串貝塚を挙げている。 小説家・松本清張は、1970年(昭和45年)、大櫛之岡の巨人伝説を材に採った推理小説『巨人の磯』を発表している(書籍化は1973年〈昭和48年〉)。
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