大正10年法律第3号(法三号)
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「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」の記事における「大正10年法律第3号(法三号)」の解説
六三法と三一法はどちらも時限立法であったが、三一法に代わるものとして1921年3月に制定され翌年から施行された大正10年法律第3号(法三号)は、それまでの法律と異なり有効期間は限定されておらず、日本が第二次世界大戦に敗戦し台湾に対する権限を失うまで効力が存続することになる。廃止手続はされていないので、日本がポツダム宣言を受諾し台湾への実効支配が終了したことにより実効性喪失したという見解と、1952年(昭和27年)4月28日 の 日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)発効により失効という見解があるが、国立国会図書館の日本法令索引に従い、実効性喪失とする。 法三号では、六三法や三一法で採られていた方針とは異なり、内地の法律の全部又は一部を台湾に施行する必要があるものについて、勅令で定めることにより台湾に施行することを原則とする(1条1項、内地延長主義)とともに、法律を台湾に施行するに際し特例を設ける必要がある場合は、勅令で別段の規定を置く方針を採った(1条2項)。 台湾総督の律令という形式による立法権も排除されていなかったが、法律を必要とする事項について施行すべき法律がないもの又は法律を台湾に施行する方法によることが困難なものに関し、台湾特殊の事情により必要がある場合に限り律令を制定することができることにして(2条)、律令制定権を制限した。法三号が施行された結果、内地に施行されていた法律は次々と台湾にも施行されるようになり、台湾総督による律令制定権はほとんど行使されなくなる(これに対し、朝鮮の場合は、最後まで朝鮮総督による制令制定による立法が原則であった)。 台湾総督の立法権は大幅に制限されたものの、全面的に権限がなくなったわけではないので、憲法上の問題は引きずったままであった。
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